Monday, 21

ノーコンキッドの波瑠が最高に可愛いので、書きます :)

一番最初にゲームに触れたのはいつの事だったのか。たぶん、地元のパン屋に併設されていたゲームコーナーだろう。メダルゲームがいくつか(10円入れてやる新幹線ゲームとか、ルーレット)の中に、2台のテーブル筐体があった。片方はスペースインベーダー、もうひとつはギャラクシーウォーズ。前者の発表は1978年だから小学校2~3年生ぐらいか。記憶とも相違は無い。そこで、ゲームの楽しさを知った。当時、ゲームセンターあらしは手の皮を破りながら、自機を消したりしてた気がする。

1980年5月にナムコからパックマンが登場。衝撃的な面白さだった。しかしこの年、俺にとってもっと重要なゲームが1月に出ていたのだ。平安京エイリアン。秋葉堀り、伊藤堀り、懐かしいなぁ…んでもって、なぜにこのゲームが俺にとって重要だったのか。

両親共に関西出身なので、親戚も関西が多いのだが当時俺が懐いていたのが父親の妹の旦那さん。通称、もんちゃんというおじさんだった。彼は関西のテレビ局でカメラマンをしていたのだけれど、超理系な人で自分で基板から色んなもん作ったりして、今で言うGeekな人だった。だから、家に遊びに行くといろんなオモチャがあって、まぁ楽しかったわけだ。

1980年、10歳(万博の年の早生まれなのです)の夏休みにも俺はもんちゃんの家に泊まりがけで遊びに行っていた。その家の長男であり、いとこのアツシ(当時はまだ赤ちゃん)の相手をしたりしながら、もんちゃんのオモチャで遊んでた。と、ある日もんちゃんが

「ふみあき君、ちょっとコッチにおいで」

と普段は入れてくれないもんちゃんの書斎に入れてくれた…そこには、PC-8001とMZ80(おそらくCかK)がフルセットで。初めて見るマイコンだった。もんちゃんはおもむろにMZ80のカセットボタンを押すと何やら操作を始める。程なくして鈍くグリーンに光るモニタに映し出されたのは、見慣れた光景だった

「平安京エイリアンだ!」

心底驚いた。あのパン屋やゲームセンターに行って、なおかつ1プレイ50円だったゲームが目の前にある。何度でもタダで出来る!夢中でプレイ。もんちゃんが心配するぐらい。その後、PC-8001でも様々なプログラムを見せてくれる。パックマンももちろんあった。グラフィクは雑だし、音もしょぼいけど、もうとろけるくらいに楽しくて、晩御飯もほったらかしで、ずーっといじってた。なにこの機械!何でもできるじゃんか!

帰宅してからも、頭のなかは「マイコン」で一杯だった。父親にどこに売っているか調べてもらい、カタログを集める。自分で買うにはどれも高価だったが、ずっと使わずに貯めていたお年玉がある。秋、冬を越え、春がきた。月刊マイコン、I/O、RAMを熟読し、カタログを検討して、当時新製品のMZ80BかPC-8001にしようと考えていた。当時、町田にはBitI-NNがあって、8001を直接触れることができたのだ。ここの店員さんは親切で、雑誌片手にそこでプログラムを打ち込んでいても、特に文句も言わずにニコニコ見てくれていた。次第に8001に惹かれていく。そんな中、店員さんが

「もうすぐ新しいのが出るみたいよ、8001は」

結局、初めてのマイコンはPC-8001mkIIになった。モニタ、カセットレコーダーつけて20万越えてたと思う。すげぇな。これで、ゲーム三昧だ!と思い、創刊号から購入していたマイコンBasicマガジンの掲載プログラムを嬉々として打ち込む。もうとろけまくっていた。

が、しかし。この愛機の発売のホンの少し前に、今でも一番記憶に残っているゲームが発表されていた。それがXEVIOUSだった。

あれ、ゲームの話あんまり出てこないな。つづく。

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