fumi.day

ライフ・ゴーズ・オン

歯ブラシ

さて。最近の俺。

昼寝をしなかったせいで、娘が早々と眠ってしまったので時間が空いた。ということで、久々に自分のPCを起動。どっから書けばいいかわからんが、書いておこう。長い&楽しい話でもないので、読んでくれる人は若干の覚悟を。

アユタヤで1年弱をすごした後、その会社の社長はオーナーの長女に変わった。運営方針も180度変わって日本人が必要でなくなった事により、俺はサクッとクビになった。日本に帰るか、タイに残るかを選択することに。俺を雇った当時の前社長(末っ子)は、いい人で辞めるにあたり2ヶ月ほどの猶予をくれた。その間は給料もビザも保証してくれるとのこと。これが2014年末。

とりあえず、最初の1ヶ月はバンコクでゆっくりするか、と引っ越し。住まいはホイクワンというローカル寄りな場所。1ヶ月5000バーツという安めの部屋に。バンコクのアパートやコンドミニアムと呼ばれる賃貸物件は基本的に家具や電化製品は備え付けなので、スーツケース一つで引っ越しできる。そもそも、タイにきたときもそうだったしね。

日々ダラダラとすごす中で、近くにあった飲み屋にいくようになった。当時のその店の客層はほぼ100%タイ人。女の子が付いて、いっしょにお酒を飲むような感じ。そこで、彼女と出会った。そこでいわゆるママをやっていたのだ。これが凄まじく好みのタイプだったのだよね、、、。俺は昔から女性で失敗を繰り返しているのに、全く学びがない。

その子は、働いた金を貯めて郊外に自分の飲食店を出すといっていて、出会った当時は実際に物件も借りて内装工事をしているところだった。店は1階で上階は全て住居。自分の兄弟といっしょに住むという。彼女はその店の上で俺と暮らさないか?といってきた。自分で働いて金を貯め、店を開けるぐらいのしっかりした子だ。悪い子ではないだろう。断る理由もなく、いつしか付き合うようになり、俺はまた引っ越した。

そうなれば日本に戻る理由もなく、バンコクで働いていくほうが良いだろう、と考え、人材紹介会社に登録。バンコクにはいくつもある。職務経歴書にかけるような職歴でもないが、そこそこタイ語はできたし、無駄に色んな仕事をしていたので、なんとかなるかと思っていたが、年齢と資格がなんにもないというのは結構なハンデで30社ほど書類審査でおとされた。かろうじて3社で面接までこじつけた。面接さえできれば、こっちのもの。3社いずれからも内定をもらって、アユタヤの時よりも若干良い待遇で現在の会社に拾ってもらった。

2015年2月に新しい会社で仕事をはじめた。自宅からは結構な距離があったが、バスとBTS(話題の韓国アイドルの方ではなくてバンコクの高架鉄道)を乗り継いで、往復3時間の通勤。仕事自体は特に問題なく、日々をすごす。

彼女がある日「あなたの子供がほしい」と言い出した。俺は、日本で結婚していたときにふたり子供がいたが、さすがにこの年で再び親になる気はなかった。しかし、彼女は何故か頑なだった。俺もすでに彼女と今後もすごしていくのであろうと思っていたので、了承(この辺が俺が本当にボンクラなところ)し、4月に彼女は身籠った。そのあと、彼女に連れ子がいることがわかる。かつて結婚(事実婚)していた彼との子がいて、今はその彼の実家で暮らしているという。まぁこれも底辺タイ人ではよくある話。これが俺との子供が欲しかった理由なのかもなぁ、と思っていたあたりで(相変わらず抜けている)、フランスに住んでいるといっていた彼女の母親がタイに帰ってきた。

母親は彼女が10代の頃にはフランスに渡り、以降ほぼタイにはいない生活をしていた。父親はバンコク近郊でひとり暮らしをして働いていた。ふたりは婚姻はしていなくて事実婚のあと事実離婚のような形。タイでは事実婚がとても多い。母親は、話してみるとかなりはすっぱで、金遣いも荒く、気が短い。まぁ彼女にもそのまま当てはまることなのだが、当時はアバタもエクボだった、、、。毎晩酒を飲んでは絡む。正直うんざりしていたが、彼女の母親であることは変わりないし、タイではかなり強く親を敬うので邪険にもできず、日々暮らしていた。

ほどなく彼女が、母親が借金を返さないといけないので、金を貸してほしいという。まぁこれもタイあるあるの一つ。底辺タイ人のいう借りる、は貰うに近い。躊躇はしたが、彼女のお腹にはすでに子供もいて、逃げも隠れもできないわけで、日本円で100万強の金を渡した。

しばらくすると、飲食店の経営がおぼつかなくなってくる。俺が口を出すことを嫌がっていたので、そこには全くタッチしていなかったのだが、明らかに適当な経営だったので、そうなるのは必然だった。100万バーツ(日本円で300万強)かけて作った店は3ヶ月で閉めることになる。必死に働いて作った金で店を作った割に、彼女は淡々としたものだった。

8月ぐらいに郊外から再びバンコクの中心付近に居を移した。母親はいつのまにかフランスへ戻った。通勤は楽になったし、彼女は専業主婦として暮らす毎日。問題も特におこらず、思えばこのあたりの日々が唯一平和だったかもしれない。

3ヶ月ほどしたところで、彼女から頻繁に金の無心が始まった。弟が事故った、父親が入院した、友達がお金に困っている、理由は様々で、都度の金額は小さかったが、さすがにおかしい。問い詰めると逆ギレして、くれないなら別れる、子供は堕ろす等という。ここでも迷うがお腹の子には何の罪もない。俺が我慢すれば良いのだろうと、金を渡すが、徐々に関係は険悪になる。俺が仕事に行っている時間にいなくなることや、夜に出かけることが増えてくる。仕事から戻ると、彼女の友人らが集まってトランプ賭博をやっていることもあった。俺の机に入れてあったそこそこの額の日本円がいつの間にか消えていたこともあった。喧嘩が増え、罵り合いが続く。彼女の喧嘩は手が出る。俺は、今までに2度、頭から流血している。

12月、ついに娘が生まれた。これで一息つけるはずだと思ったが、ここで大変なことが発覚する。この時、まだ俺達は正式に結婚をしていなかったので、娘はタイ国籍しか持っていなかった。調べてなかった俺も相当に間抜けだが、大使館に問い合わせていろいろと聞いてみると、生まれてから日本国籍を取得するには膨大な手間と時間がかかることがわかった。彼女は細かいことは全くわからないはずだが、そのことをどこからか聞きつけてきて、出産後更に無心がひどくなり、家を空ける事も増えてきた。そしてついには、かつて働いていたところで再び働くと言い出した。

当時、俺がもらっていた給料は普通にタイで暮らしていくには全く困らない額で、なおかつ子供も生まれたばかりなので家にいてくれといっても、聞かない。昼は子供を見るから、夜はあなたが見ていればいいでしょ!私は働く!という。どうにも話がおかしいので、いろいろと問い詰めてみると借金があることがわかる。聞いて思わず笑ってしまうぐらいの、大きめの額だった。後に判明するがこの額も嘘で、それよりも更に多かった。

そして更なる衝撃。自分で働いた金で店を開けたというのも全くの嘘だった。なんと、彼女は俺と出会う半年ほど前にタイの宝くじ(ロッタリーと呼ばれる数字を選んで買うもの)で400万バーツを当てていた。そして、当時付き合っていた彼氏が(前述の事実婚の彼とは違う男)200万バーツ近くをオンラインギャンブルで溶かしていたらしい。そして、彼女は彼からそのオンラインギャンブルを教わっていたのだ。残った200万バーツの内、半分で店を開けて潰し、残った100万バーツもあっという間に溶かし、そのまま転がるように借金を重ねていたとの事。ウシジマくんも真っ青なわかりやすい落ち方だ。

度々の無心は、何のことはない借金の返済で、なおかつ利子のみ。めちゃくちゃ高利な闇金的なところから借りていた。タイの繁華街で働く女性達の周りには、この手の高利貸しが多くいる。本当にたちが悪くて、貸した金で他のギャンブルをすすめる。彼女もわかりやすく引っかかって、サッカー賭博や、シェーと呼ばれるタイ版の無尽のようなものにも手を出していた。借金で借金を返そうとする典型的なバカチン思考だ。

ここでも、まだ俺の目は覚めておらず、彼女はまだどこかで真人間に戻ってくれるのではないかと思っていた。彼女のことも好きだった。娘はただひたすらに可愛いし、なんとか普通の生活を送れるようになりたい、と思っていた。そして、最大の問題は娘の国籍だった。日本国籍を得るには、彼女と正式に結婚をして、大使館へ届けを出して、タイ・日本の両国で認めてもらい、更に娘の認知届を日本で認めてもらわなくてはならない。めちゃめちゃ時間がかかるし、彼女のIDや住民票(タビアンバーンという)などが無ければ書類が作れない。

彼女はその事を完全に理解していて、金をくれなければ結婚の書類は作らない、という。この頃には俺はもうおかしくなっていたと思う。とっとと別れるべきだったが、そう思えないぐらいに、娘が愛しかった。選択肢は一つしかなかった。必死にその借金を返す事にした。貯金はどんどんと無くなっていき、ついには底をついた。情けないことに、この年で親に無心もした。それでもまだ足りず、更に借金もした。最終的に、初期ダビスタの最初の手持ち金額ぐらいを払って、彼女の借金は終わった。同時にやっとタイで結婚が成立し、日本側へ書類を提出。

そこから数ヶ月(このあたりは呆然としていて記録していない)、少しの間おとなしくしていた彼女が、再び働きに出たい、と言い出した。娘の1歳の誕生日から数カ月たったぐらいだと思う。間違いなく、借金の返済だろう。問い詰めると、俺に金を返すためだという。そんなものいらないから、普通に暮らしてくれ、といっても相変わらず逆ギレして聞かない。この時、俺は娘の認知手続きの最終段階の書類を提出していたが、まだ最後に彼女のサインなどが必要だった。ここでも、彼女はそれを盾に強気。何度も揉める内に、俺も面倒になって好きにしろ、という思考になった。俺が仕事から戻り、しばらくすると彼女は出かけるという日々が始まった。状況としてはめちゃめちゃ悪化しているんだが、夜に娘とふたりですごす時間はとても平和だった。2歳になる前なので夜泣きはするし、ろくに眠れないけれど、それでも平和だった。

ほどなくして、彼女に男の存在が発覚する。店の客だった。思えば、俺も同じ形で彼女と知り合っているんだから当然といえば当然のことだろう。しかも、彼女はその男からも金を引っ張っていたのだ。凄まじいバイタリティ!もう、笑うしかない。そして彼女のパソコンからオンラインギャンブルの形跡も発覚。娘が2歳になる前あたりの事だ。さすがに、もういっしょに暮らすのは難しいので、別れたいと話をした。実は、この時点でついに娘の日本国籍が取れていたのだ。彼女にはその事実は知らせていなかった。知れば、何かしらの動きをするだろうと思ったからだ。一番怖いのは娘を連れてどこかへ逃げてしまうこと。実際、そういう事例はタイではとても多い。しかし、彼女は意外にあっさりと離婚に同意した。おそらく、その彼といっしょにいたかったんだろう。親権もタイ・日本両国で俺が取った。そのあと、会社のそばに更に居を移し、娘を預けられる保育園を探した。ありがたいことに1歳から預かってくれる園がいくつかあり、そこに預けながら仕事に通った。土日に仕事があるときもあったのだが、そういう時は彼女が娘を見にくることを許可した。離婚をしても母親に変わりはなく、離れて暮らすようになった分、俺との関係も多少和やかになったからだ。

しかし、そう簡単には終わらず、また無心が始まった。もう逆さにしても俺には金がないので、出せないといった。いつの間にか、彼女は俺のカードを盗んでいた。それで金(ゴールド)を買って、すぐに売って金を作るというウルトラCを繰り出した。痛恨の一撃。俺のHPはゼロどころかマイナスになった。そしてある日、娘とともに彼女が消えた。

ちなみに、この間、仕事は普通にしていた。人間なんとかなるものだなぁ、と思う。

いきそうなところの目星は付いていたので、休みの日に行ってみると簡単に見つかった。金はないので、どこにもいけないのだろう。小学生に話すように、ゆっくりと諭した。あなたといるのと、俺といるのと、娘はどちらが幸せに暮らせる?と。最初は感情的だったが、しばらくすると観念した。このときに、弁護士を入れて書類を作った。以後、この手のことがおきた時は誘拐として警察に届けることにした。幸い、そのあとはこういう事はおきていない(今の所)。

この時点で、もうほぼ俺の部屋に彼女がくることはなくなっていた。仕事の関係でどうにもならない時にだけ、見に来てもらったりしていたが、それ以外は娘と俺のふたり暮らしになっていた。以前から家を空けることが多かったので、娘もそれほど恋しがることもなかった。

ある日、警察から電話がかかってきた。今、お前の彼女はどこにいるのか?というのだ。とっさのことでわけがわからなくなった。程なくして、彼女から連絡がきた。警察から連絡きた?と。きたぞ、何した?というと、盗みだという。もうホントに笑った。聞けば、instagramでブランド物中古バッグなどを売る仕事を見つけてやっていたらしく、その倉庫からエルメスのバーキンをパクって、常連に安く売りつけて売上をがめようとしたらしい。しかも間抜けなことに、売りつけた相手はおそらく彼女がパクって連絡してきたとわかったらしく、物だけいただいて支払いはしなかった。結果、彼女の手元には金は来ず、盗んだ事実だけ。オーナーはすぐに気づいて警察に届けたという形だ。

携帯に警察からSMSがバンバンと入ってきたらしく、彼女は今から自首しにいくと連絡してきた。オーナーも警察にいて、示談交渉をするという。しかし、彼女には到底返せるような金額ではないので、ここでも俺に連絡がきた。いや、無理無理。毎日40バーツのタイ飯で暮らしてる人間が35万バーツのバッグ代は払えない。1週間の勾留後、再び連絡が来て、弁護料と保釈金を貸してもらえないか、と彼女が付けたらしい弁護士から連絡がきた。合計で10万バーツほどの金額だった。

俺にはそんな無駄な金、びた一文なかったが、弁護士に話をして、今後一切の関係を断つことを弁護士のアナタが書類にするならば貸してもいいといったところ、すぐに彼女が同意したと連絡がきた。娘の母親が牢に入るのもキツイか、、、とも思い結局それを出した。ちなみに、彼女の母親にも連絡したが、母親は「牢屋に入れ」の一言だったらしい。父親は月収6000バーツの人間なので、はなから無理。親戚縁者も彼女には呆れていたので、頼るところは俺しかなかったようだった。

今は、最後に貸した保釈金+弁護士代10万バーツの返済のために、LINEだけは繋げてある。一応、弁護士と書類を作った時に他に出した分の金も記入してあるが、もちろん、ほぼ返ってこない事はわかっている。ポツポツと無心もくるが、これはさすがに一切出していない。娘の写真を要求された時は、たまに送っている。保釈期間が終われば、最終的には収監されるかもしれない。俺は富豪ではないので、宝くじにでも当たらない限り(ここ笑うところ!)もう助けることはできないだろう。

娘と完全にふたりの生活になって数カ月になる。俺自身はひとり暮らしが長かったこともあり、炊事洗濯含め、家事全般全く苦にならないので生活は問題ない。自分の時間は一切ないし、夜はいっしょに寝るので出かけることもない。しかし、本当に本当に素晴らしく平穏な日々だ。娘は、時として母親を恋しがって泣くが、もうこればかりは仕方ない。いつか会わせる日がくるかどうかはわからない。新しい母親を探すべきなのか、と考えることもある。今後どうやって生きていくか、いろいろと思案しているが、自分で招いた結果だし、現状はとにかく頑張るしかない。借金も残っている。娘にまともな暮らしをさせるためにも(今がすでにまともかどうかはともかく)、ひたすら頑張るしかない。

これが最近の、俺。

#days   #201811