西葛西スナック純情物語(序)
大学にはいった年から、ひとり暮らしになった。1990年ごろのことだ。最初は千葉の外れに住んだのだが、不便すぎた。当時はまだバンドをやっていたのもあって、スタジオのたびに東京に出るのも面倒で、大学2年の頃に東京外れの江戸川区中葛西6丁目という場所に越した。東西線の西葛西から徒歩15分ほど。今の西葛西あたりは飲み屋さんが多かったり、インドの人が多かったりみたいな事になってるようだけれど、当時の西葛西駅前は大して栄えてなくてパチンコ屋とか焼肉屋が多かったぐらい。駅前にジョナサンがあったのは覚えてる。東西線高架下の商店街があり、葛西駅の方まで出れば大きめのスーパーもあったりしたから暮らすのに困るという事はなかった。
当時で確か5万弱の家賃だったと思う。結構な築年数のアパートだったけど、アパートの前に少しだけ庭的なものがあって大通りからは一本はいったところだったから静かだった。借りたのは2階の部屋で、その庭的なところを通りすぎて階段を上がったような記憶がある。玄関入ると左手に台所(決してキッチンと呼べるような感じではなかった)、床は板の間(決してフローリングと呼b、、、)。それを抜けると六畳の和室。壁は砂壁。部屋の右半分は通販で買ったベッドで占められていて左にはPCやミニコンポだのを置いたサイドテーブル的なもの。これは確か、ハンズか何かでスチールの組み立て家具を組み合わせて自分で作った記憶がある。テレビはもちろんブラウン管だから、部屋の隅に斜めに置かれた。
このアパートを出て右に曲がると左手にラーメン屋があった(今もあるかもしれない)、名前はかなりおぼろげだが確か「ファミリーラーメン」だったと思う。切り盛りしていたのは当時の俺の恐らく10ほど年上の夫婦と、それよりいくつか年がいった気の弱そうなアンチャンの三人。「マスター」と呼ばれていた店主の方はいかにも昔やんちゃでした、って感じでガタイもよく威勢がいい。奥さんは、こちらも昔はブイブイ、、、って感じで少しキツい感じだが、目元が涼しげできれいな年上女房。アンチャンはいつもニコニコとしてるけどマスターには頭上がらない感じ。町の中華屋然とした店で、ラーメン、ギョウザ、各種ごはん物やカレー、定食など何でもあったし、値段的にもそれほど高くなかった。
通う内に、マスターとはあっという間に仲良くなった。競馬が好きで、毎週土日は店でもラジオで競馬中継が流れていたし、テレビ中継が始まればもちろんそれも流していた。当時の俺は、西船橋にあった24時間営業のビリヤード&カラオケみたいな店でバイトをしていて、夜中には仕事しつつ賭け球(ビリヤードでやる賭け)して、朝になると平日はパチンコ、土日はそのまま中山競馬場にいったりするという、ダメ学生の典型みたいな生活をしていた。でも、球撞きは結構真剣にやってて、当時のバイト仲間にはビリヤードのプロになってるのがいたりする(結構強い)。んで、スタジオがある時は第一優先でそっちにいくわけで、俺は一体いつ大学に行ってたんだろうか(行ってないから留年したよね)。たまにバイトが休みの土日にはマスターの店で、飯食いながらダラダラと競馬だ。ほんとにロクでもないな、、、。当時、マスターはノミ屋で馬券を買っていて俺もいっしょにノッていた。そういえば、ノミ屋の一割戻しを知ったのもこの頃だろうか。
とある土曜日。奥さんは実家に帰っていてマスターとアンチャンひとりで回してたんだけど、最終レースでマスターがかなりの穴場券を当てた。そこまでのレースで負けが込んでたので、半ばやけくそ気味にガッツリ買ったのが的中。中華鍋を振りつつガッツポーズをして「うぉっしゃぁー!」と叫ぶ。俺もノッてたので儲けたが、買った桁が違うマスターの配当はかなりのもの。で、その時に「なぁ、今日飲みにいかねぇか?」とマスターがアンチャンを誘い、ついでといった感じで俺も誘われたのだ。
マスターとはそのラーメン屋でしか会ったことがなかったし、正直どうしようかと迷ったんだが(基本的に飲みにはひとりでいくのが好き)、いく店を聞いて興味を持った。店からほど近い”スナック”に飲みにいくというのだ。その時の俺は、もちろんスナック童貞。聞くと、マスターは馬券で儲かるとチョコチョコとそこに行って飲んでいるという。そして、これは後に判明したんだが、その店にはマスターが目当てにしてる女の子がおり、ひとりで飲みにいくと奥さんに怪しまれるもんで、俺らを誘ったわけだ。アンチャンもその辺をよく心得ていて、奢ってもらう分、奥さんに対して口裏を合わせるようになっていた。
待ち合わせは店が終わる21時すぎ。店の前には、髪もセットして私服のマスターとアンチャンが待っていた。俺も合流して、テクテクと歩いて”スナック”に向かう。5分も歩けば到着。元々は雑貨屋的なのをやってたんだけど、トラックの運ちゃんだった旦那さんといっしょに稼いでスナックオープンして、そのままそこに持ちマンション建てちゃったというやり手のママがやってる店だった。店は地下。階段を降りていくと、妖しく光る看板。ゾクゾクと興奮する俺。開かれる扉。からんころん。
「イラッシャーイ!」と嬌声にかぶって「いらっしゃい」と、若干かすれた声がする。見るとカウンターの中に、いい年の女性。恐らくコレがママ。「なーに、コレ!久しぶりじゃんヨォ!何してたんだ、オメェ!」と、いきなりマスターが叱られている。そう、ここのママは茨木なまりのべらんめぇが特徴なのだ。言葉遣いはぶっきらぼうなんだけど、いろいろと優しいとこもあって、そのアメと鞭のような手練手管に、俺はこの先いろいろとやられるのだった。