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タイ料理屋で働いてた頃の話

以下のテキストはバンコクにいた頃に"ガォ"という名前で運営してたタイ関連のブログに連載していたドキュメントっぽいテキスト。フェイクも入ってるけど、かなりの部分は本当の経験。思えばこの頃からタイ人女性にやられてるのよね、、、。


もう十数年以上も前になるけれど(連載当時。2025年現在では20数年前になる)、ボクは日本にいた頃タイ料理店で働いていたことがあります。自分でタイ料理屋をオープンする直前まで、3店で都合5年ちょっとぐらい。前にも書いた通り、ボクがタイにハマった一番の要因がタイ料理だったので、気がついたらタイ料理屋で働くことになってたのです。

“ボクはなぜバンコクにいるのか?”

先日、読者の方からメールを頂いて少しやりとりしていたのですが、そこで出てきた話題の一つが「どうしてタイ、バンコクだったの?」というものでした。その時に改めて考えてみたのです

スーツ着て営業マンしたり、SEしたりした時期もあったのですが、ある時東京でとあるタイ料理屋がオープンするのにあたって日本人の店長を探している、という話がボクのところまで回ってきました。毎年タイに遊びには行っていましたが、日本に帰ってくるとタイ料理自体がなかなか食べられない(高い!あんまり美味しい店もない!)ので、いっそタイに行っちゃおうかなぁ…とか思っていた時期なので、渡りに舟!と快諾。そのとあるタイ料理店の店長として働き始めたのです。当時、飲食店の経験自体は8年ぐらいでしょうかね。

その店は、今思えばタイ人オーナーの意向が色濃く反映されていて、なんというかハイソな感じのタイ料理屋でした。好きなんですよねぇ、お金持ってるタイ人てそういう雰囲気。タイ料理屋、というかタイ料理レストラン、という趣なわけです。『タイ宮廷料理』とかついちゃう感じ。ボクは店長として入ったのですが、なんとスーツ着用。恭しくお客様を迎える感じです。自分の思うタイ料理店との違和感を感じつつも、日々タイ料理を勉強してました。厨房もフロアのスタッフも全員がタイ人。当時のボクはタイ語でわかるのは挨拶と数字程度、フロアのアルバイトスタッフであった留学生の子達が英語&カタコトの日本語を話すので、それを頼りにコミュニケーションを取っていましたが…ぶっちゃけコミュニケーションとか取れないです、そんな程度だと。しかもタイ人の文化とか、考え方も全くわからないので日本の飲食業のセオリーで接していましたが、まぁコレがぶつかるぶつかるw

  • 遅刻、早退、無断欠勤あたりまえ
  • そもそもタイムカード押さない
  • 怒られてもニヤニヤしてる
  • 店内のテーブルに座って話し込む
  • 都合が悪くなると急にタイ語しか話さなくなる
  • どんなに忙しい時でも誰かしら厨房で何か食べてる
  • 店の食材を勝手に使って四六時中なんか作って食べてる
  • みんなで結託してあること無いことオーナーにチクる
  • などなど…

今となっては、全てのことを納得せずとも理解はできますが、当時は今まで自分がやってきていた飲食業の経験が完全に通用しなくて、もうどうにもならなかったのをよく覚えています。そういえばタイ料理屋で働く前にやってた飲食業の頃は、めちゃめちゃ怖かったんですよねぇ、ボク…。当時のみなさん、ごめんねw

スタッフたちとの仲は日に日に悪くなっていきます。気がつけば、自分の分だけ違うまかない飯が出てくるようになりましたし、食べる時も1人に。みんなが食べているのは現地の人達が食べるような感じの料理をみんなでワイワイ。ボクのはメニューに載ってる料理がお客さんと同じ盛り付けで出てきてました。

さすがにコレはマズイ。と思い、当時のコック長と話をすることに。太っちょのオバチャンで名前(と当時は思っていましたが、タイ式のアダ名、チューレンですね)はプイといいました。彼女は全員から「ピープイ」と敬称を付けて呼ばれるボス的な存在で、日本も長くて日本語もそれなりに理解します。でも、意思の疎通をとれるほどではないので、フロアのアルバイトで唯一なついてくれていた女の子といっしょに話した、というか言い分を一方的に聞きました。

なぜ聞くに徹したかといえば、ここは東京だけれど東京じゃない、アウェーなんだよな、とやっと認める気になったからです。この状況は自分の今までの経験程度でどうにかなるレベルではなかったわけで。スタッフ総勢20名ほどが、全員タイ人。まかないもタイ料理。彼らはみんな同じアパートでいっしょに暮らしています。言葉もわからない異国の地で、お金稼ぐために必至に暮らしているわけです。それを、日本のルールでこっちの言いなりにしようとするにはどう考えても無理がありましたし、余計に負荷をかけるだけ、関係をこじらせるだけだなぁ、と。なので、ここは素直に彼らのルールに飛び込むことにしたんです。

ピープイがいうには、

  • 料理の名前、材料や調味料をタイ語で言えないような人のいう事聞けない
  • タイ料理が好きだという割に、知っているタイ料理が少なすぎる
  • 人前で怒っちゃダメ、ニヤニヤしてるんじゃなくて対応ができないだけ
  • 忙しい時にごはん食べるのも仕方ない、お腹すいてたら働けないから
  • 食材使うのは普通、使うものは考えてるし、オーナーも知ってる
  • 特定の子に優しくしてる
  • 遅刻はこっちが悪いから直させる

他にも色々あったけど、ざっとこんな具合。

料理の名前や調味料は知っていたけれど、確かに、当時のぼくのタイ語レベルではそれを伝えることは不可能でした。『トムヤムクン』という単語一つでもなかなか通じない(イントネーションが全く違う)ぐらいなので、味の指示を出すことなんて超絶不可能。また、タイ料理は料理ごとに使うタレ(ナムチム)や、食べ方の作法などが違ったりするんですが、そのへんの知識も少なすぎました。もし自分が働いている和食店に急にフランス人の店長が来て、作ったことも食べたことすらもない料理に対して、フランス語で指示出されて怒鳴り散らされたら、確かにイラッとしたかもしれん、と反省。

怒った時の反応に関しては言われて、ハッと気づきました。結局の所彼ら、彼女らは怒られること自体に慣れてなかったんですよね。それも人前で叱り飛ばされるなんてのは、まずタイでは無いことなので。タイ人はプライドと見栄の塊みたいな部分があるので、人前で叱ったりするのはご法度です。でも、当時は全くそんな文化も知らず。そりゃぁ、スタッフ全員敵に回すし、嫌われます。

お腹すいたら仕事できないっていうのも、確かにそうです。日本の飲食店だと飯抜きで働くなんてザラというか、それが当たり前ですが、よく考えたらそっちの方がおかしい。まぁ死ぬほど忙しい時にワザワザ食うなって話なので、休憩時間を決めて、そこで食べよう!って言ったけど、お腹すいてない時もあるから…とやんわりと拒否られwでもまぁ、食べる時間を考えていこうね、とココはお互いに妥協。食材使う部分もオーナーがOKなら問題なし。実際、それほど贅沢に使っているわけでもなかったですし。

特定の子に優しく、ってのはまさしくこの話し合いの時にいっしょにいたアルバイトの子の事で、優しくしていたというよりはこの子が一番コミュニケーション取りやすかったから、必然的に多く話してた、ってだけなのですが、みんなにはそうは映らなかったようで。この辺の呼吸に関しては、こっちに来て仕事をするのに大いに役立った部分でもあります。

遅刻に関しては、すぐには治りませんでしたが、プイがみんなに怒ったので(プイ自身は一度も遅刻したことがなかった)、徐々に少なくなっていきましたし、遅れる時や休む時には店に連絡を入れるようになりました。

そして最大の難関は…そう、タイ語です。もう、毎日聞いていても、猫の鳴き声や小鳥のさえずりにしか聞こえないわけです。そもそも、単語がどこで切れるんだかも、さっぱりわからない…さぁどうしよう‥。

と、今日はここまで。次回は、どうやってタイ語を覚えていったか、的な話を書いていこうかと思います。

タイ料理屋で働いていた頃の話・その2

ボクが大昔にタイ料理屋で働いていた頃の話、前回は揉めまくってもうヤバい!となって、タイ人側のボスと話し合った、ってところまでを書きました。結構、色んな方に読んでもらえたみたいで、嬉しかったり。メールとかも頂いたりしてまして、感謝です。

さて。その話し合いがあった日の夜、ボクはオーナーに電話をかけました。内容としては

  • スーツではなくて他のスタッフと同じ制服で仕事をしたい
  • 店長の肩書もなくして欲しい
  • 全スタッフの名前・年齢の一覧が欲しい
  • タイ料理のレシピ本などがあれば貸して欲しい

上記が主な内容でした。まず、肩書やスーツを脱ぎたかったのは仕事をしにくかったのもあるんですが、形から入ろうと思ったからです。スタッフと同じ制服を着て、ボクはあなた達と同じスタッフです、偉いわけじゃないです、とわかりやすく見せたかったのです。自分としてもそこから再スタートすべきだ、と思いました。

スタッフの名前と年齢に関しては、恥ずかしいことにこの時点でも未だ全員の情報を把握できていませんでした。今まで飲食店で仕事をしていた時は、名前や年齢はもちろん、誕生日や恋人・配偶者・子供の有無、髪を切ったかどうか、その日の顔色まで把握して、何か少しでも変化があればマメに声をかけるようにしていました。持論として、どんなに忙しかったり大変なことが起こった時にでも、最終的に効いてくるのは『如何にそのスタッフのことを理解していることか』だというのがあったからです。

でも、ここで働き始めた時には何故かその持論がすっぽりと抜け落ちていました。情けないことですが、タイ人スタッフのことをどこかで下に見ていたのではないかと思います。出稼ぎに来ている、貧乏なタイ人。日本語もできないし、こっちの言うことを聞くしか無い立場だろうと思い込んでいたわけです。そんなにケアしなくても、向こうから尻尾振ってくるのが当たり前、というか。こうやって書いていても、本当に嫌なやつですね。自分でもうんざりします。ですから、そこも全面的に改めていつものスタンスで臨むことに。声をかける時は、必ず名前を呼ぶ。誕生日にはカードや小さな贈り物をして、全員で祝う。年上には敬意を表し、キチンと敬う。些細なことも気にかける。そう、普通にやるべきことをやり始めました。

ちなみにフロアのアルバイトの子達は留学生が大半だったんですが、そもそもタイから留学してくるだけの財力のあるとこの子達なので、実はお金持ちの子ばかり。タイではアルバイトなんてやったこともない、って子が多かったのも扱いにくかった要因の一つではありました。コックさん達は、結構大変な所の人達も多かったですが、日本でガッツリ働いて自分の田舎に家建てたり、エビの養殖場作ったり、子供の教育にお金かけたりとタイではそれなりに裕福な暮らしをしていた人も多かったです。

そしてタイ料理のレシピ本に関しては、オーナーからかなりの冊数を借りることが出来ましたが、タイ語と英語のものばかりで日本語のものは無し。とは言え、写真は付いているし、材料の一覧なども見ることができるので料理を覚えるという目的には十分でした。

早速、次の日から行動開始です。当時、店のオープンは11時30分でしたが、ピープイは7時30分過ぎには店に来て仕込みを始めていました。ちなみに彼女は当時45歳ぐらいで、ボクよりは一回り以上の年上。ボクは9時に出勤してオープンの準備などをしていたのですが、それを早めて彼女といっしょに出勤、仕込みに付き合うことにしたのです。他のコック達は8時〜9時あたりに出勤してきていました。飲食店で仕事をした経験はありますが厨房に入っていたわけではありません。ですから仕込みに付き合うとはいっても、料理そのものができるわけでもないので、ゴミを捨てたり、洗い物をしたり、野菜の皮むきしたり、と要は厨房で雑用をしたのです。

また仕込み前のタイ野菜や厨房にあった調味料をレシピ本を見て確認しはじめました。朝からに出勤して来たボクに、彼女は一瞥をくれただけで何を言う訳でもありません。とはいっても無視するわけでもなく、こちらが聞いたことに対して、例えばレシピ本の中の野菜の名前の読み方や、調味料の味などに関しては普通に答えてくれましたし、味見もさせてくれました。

彼女は、毎日先ず最初にほぼ全ての料理に使う鶏ガラ出汁のスープを大きな寸胴にとるところから始めていました。それが終わるとランチに使う様々な食材の下ごしらえを始めます。ランチは日替りが2種類と定番が3種類。日替りは前の日の余った食材や足の速い食材などから検討されます。ボクはそのメニュー達も、一つ一つ覚えていきました。他のスタッフが出勤してくると、彼女は次々に指示を出します。毎日10時すぎぐらいにはほぼランチの仕込みが終わり、そこから厨房スタッフの朝ごはんです。この朝ごはんも彼女が作ります。日本だと賄いは一番下っ端のコックさんが練習がてら作ったりするんですが、彼女は自分も美味しいものを食べたいから他のコックに作らせるぐらいなら自分で作ると言い切っていました。

しかし朝から厨房に出勤した日から1週間経っても、ボクの分の朝ごはんは出てきませんでした。あらら…でも、そんなことは想定内。みんなが朝ごはんを食べ始める時間には、ボクはフロアに戻っていますし、前の日に買ったおにぎりを朝ごはん用に持ち込んで食べていました。もちろん昼の賄いもみんなとは別に、例のお客様に出しているメニューのままでした。彼女以外のコックは、ボクが朝からいることに初日こそ驚いていましたが、1週間もするとその状況には慣れたようで、朝の仕込みをしながらカタコトの日本語で軽口を叩くまでに。ボクもなんとなく打ち解けてきたかなぁと思ってた、ある朝。仕込みが終わり朝ごはんの時間になった時、男性コックの1人がピープイに言いました(当時はまだタイ語がわからないので、言ったコックを後で呼んでフロアの子に訳してもらった)。

『ガォも朝からいるんだし、ごはんいっしょに食べてもイイんじゃない?』

ピープイはそのコックをチラリと見ます。このチラリは本当に怖い目で、彼女の得意技でもありました。そして早口のタイ語でその男性コックをまくしたてます。軽口の飛び交っていた陽気な厨房内の雰囲気は、一気に凍りつきました。鶴の一声、ボスの一喝。男性コックは若干うなだれながら彼女の話を聞いています。しかし、その横にいた二番手の女性コックも男性コックに同調したようで、いっしょにピープイと話し始めました。しばらく話しているとなんとピープイが前掛けを外して外に出て行ってしまいました!ぎゃぁ!話の内容はよく分からなかったボクですが、とりあえず彼女を追いかけました。でも、彼女に取りつくしシマは無く、あっという間にロッカールームへ。そのまま私服に着替えて出て行ってしまいました。

厨房内はザワついていますが、ランチタイムも迫っています。とりあえず朝ごはん問題は後回し。二番手のコックが指示を出し始めランチタイムの対応です。タダでさえ戦場になるランチタイムにピープイがいないとなると本当にヤバい!厨房のスタッフはみんな一心不乱に働き始めました。ボクらフロアスタッフもできることをして、オープンに備えます。と、オープン寸前の11時15分頃にピープイが戻ってきました。普通にコック服を着ていますし、手にはあずきバー。みんながあっけにとられる中、彼女はあずきバーをワシワシと食べきって、自分のいつものポジションに戻りサクッと仕事を始めます。なんて自由!後で聞いた所、実はボクにも朝ごはんを出すつもりでいたタイミングで男性コックに先に言われてしまい、更に二番手までが彼の味方をしたので、腹が立つやら、情けないやらで、どうしたらいいかわからなくなって出て行ったらしいのです。でも大好きなあずきバーを食べてたら気持ちが落ち着いたので戻ってきた、と。マジで自由!しかし、この頭に来ると後先考えなくなるというのは、タイ人あるあるだなぁとか思いますw

そして、その日のランチも無事に終わった昼休み。コックとフロアスタッフが賄いの準備を始めます。厨房のテーブルの上にピープイが作った料理が並んでいきます。普段だと、その料理を作る前にボクに先に料理が出されるのですが、この日は未だ出てきていません。スタッフの昼食が全て出来上がった時に、ピープイがボクを呼びます。

『そこの皿に自分の食べたいだけご飯をよそって、適当に座んな!』

最初は意味が分からなかったのですが、そうです、ついにみんなといっしょに賄いを食べる許可が出たわけです!この時は、なんだか本当に嬉しかったですねぇ。他のスタッフも、ニヤニヤしながらボクが座るのを見ていました。そして、ボクもみなと同じように皿にご飯を盛り、スプーンとフォークをもらって食事開始です。

食事が始まれば、いつもの雰囲気。ワイワイと食べ進めます。朝の一件は、もう微塵も感じません。この辺の切り替えの早さもタイ人あるあるだと思います。そして賄いはどれもこれも、もちろん旨い。タイに遊びに行って食べた、大好きなタイ料理の味でした。あー、そうかボクはコレが食べたかったんだよなぁ、とシミジミ。食事が終わるとピープイがボクを呼びます。通訳でフロアスタッフの彼女もいっしょに。そこで言われたのは以下のことでした。

  • これからはもう朝の仕込みには付き合わなくてイイ
  • 昼も夜も賄いはスタッフといっしょに食べろ
  • 私達も身近に日本人がいて心強いし安心している
  • 今まで違う賄いを出していた理由

朝来なくていいというのは、もうお前の姿勢も考え方もわかった、聞きたいことがあれば通常の勤務時間でも教えるから大丈夫だ、との事。賄いに関しても、普通にみんなといっしょに食べなさい、と。

タイ人達は日本で暮らしていると、様々な問題に当たることがあります。この店のコックは全員、きちんと調理人としてのビザを取って来日していましたが、それでも職質に会うことがあったり、故郷に物を送る必要があったり、品川の入管や区役所に出向く必要があったり、体調を崩して病院に行ったり、と日本人がいて助かる場面も多かったのです。それらをボクは仕事がてらやっていたので、その部分は感謝してるし、頼りにしているんだ、との事。

そして、今までみんなと違う賄い、お客様に出すメニューをボクに出し続けていた理由を聞いて、ボクは彼女の優しさと懐の大きさを知ることになります。彼女は、ボクがタイ料理が好きだと言ってもまだまだ知識量が狭く浅いのが残念で、せっかくタイ料理屋で働いているのだし、そんなにタイ料理が好きなのだったら、色んな味や種類があることをキチンと覚えて欲しかったのだ、と言うのです。ボクは勝手に爪弾きにされていると思っていたのに!確かにその店のメニューにはマニアックなものからポピュラーなものまで、北・東北・南とまんべんなくタイ料理が並んでいました。それを一つ一つキチンと見て、食べてみて欲しかった、と。言われてみると、これも当たり前の話で、メニューの味や食材の確認など、今までの飲食では普通にやっていたことでした。

不覚にも、ボクはココでホロリと涙を流していました。自分の不甲斐なさと、情けなさと、疲れと、なんだか色んな感情が重なったんだと思います。彼女は驚いて、謝ってきました。ボクは、謝るようなことじゃないんだ、こちらこそ今まで申し訳なかった、と話しました。そして、この日を境に彼女たちスタッフと心が通ったという自信が持てるようになりました。同じものを食べ、同じ思いをしながら、無理に気負うこともなく働くことができるようになっていったのです。

しかししかし、未だタイ語には手付かず。何しろ言っていることが全くわからないままです。それでもフロアスタッフの通訳の助けなどもあり、そのまま働き続けて3ヶ月ほど。レシピ本での食材勉強の成果が出てきたのか、ある日突然厨房での言葉が耳にクリアに届き始めました。タイ語での『単語』が聞こえてくるようになってきたのです。そうすると、トムヤムクンも、トム、ヤム、クン、なんだと言うことが理解できてきます。一つわかると、わからない部分を聞く・調べる…と、続けていく内にある程度の食材・調味料の名前、調理方法のタイ語を覚えます。そうすると、ほとんどのメニューが理解できる事がわかったのです。

ヤムウンセン → ヤム=和える(タイ式サラダ全般)、ウンセン=春雨 → ウンセンを覚えた!
ウンセンパッカイ → ウンセン=春雨、パッ=炒める、カイ=玉子 → パッ、カイを覚えた!
パップリックムー → パッ=炒める、プリック=唐辛子、ムー=豚 → プリック、ムーを覚えた!

って感じで、どんどんと語彙が繋がって増えていきます。ドラクエのレベルアップ音が頭の中で鳴り続ける感じ。タイ料理の名前も意味がわかってしまえば日本で言うところの「豚の生姜焼き」と同じ方法で付いている名前なわけです。そうすると、厨房の中の会話もメニューに関することは徐々に聞き取れるようになってきます。数カ月前には猫や小鳥の鳴き声にしか聞こえなかったあの呪文が聞き取れるようになってきたのです!お客様に料理を出すタイミング指示も、フロアスタッフの通訳を経ずにできるようになってきました。

と、長くなってきたので今回はここまで。次回は、更なるタイ語への挑戦が続きます。

タイ料理屋で働いていた頃の話・その3

その後も日々、スタッフとのやりとりの中でボキャブラリは増えていきます。わかる単語の数もどんどんと。しかし、ここでまた壁が。食材とか調味料、調理法の単語ばっかり、というかそれしか覚えてなかったのです。料理のオーダーは通せるようになりましたが、簡単な日常会話でのやりとり等は未だにままなりません。これは困ったなぁと思いつつ、昼の賄いの時にみんなにどうやったらタイ語が上達するか尋ねた所、ピープイが言いました。

『そんなん、タイ人の彼女作ればいいのよ!』

えぇえええぇえぇぇええぇぇ!って、確かにそれは一番早い上達法ですよね。うんうん。みんなはピープイの言葉を聞いて、笑いながらボクを囃し立てます。その店で働いている当時、確かにボクには彼女はいませんでした。仕事ばっかりしてましたしねぇ。とはいえ、作りましょう、はい出来ました、っていう訳にもいかないですし。そこら辺に売ってるもんでも無いです。その場では、なんとなく笑い話で終わりました。

昼の休憩が終わって、フロアに出ると、いつもコミュニケーションをとっているスタッフの子がボクの所にやって来ました。ちなみに彼女の名前は、カニを意味する『プー』です。

「ガォさん、タイ人の彼女欲しい?(ニコッ」

「え?」

「さっき、ピープイが言ってたでしょ。タイ語の上達のため!」

「あ、あぁ(ちょっと動揺)」

「実はね、私ね、前からね…」

え?え?え?何!?(まさかの告白タイム?)

「紹介したい人がいるの!」

って、ズコーッ!キミじゃないんかいー!ボクの中のボクは確実にずっこけてました、この時。実は、このプー、めちゃめちゃ可愛い子だったんですよ。でも、普通に彼氏がいて、その彼氏もいっしょに働いていたんです。なのでそういう対象ではもちろん無くて。この子だったら、いいなぁとか勝手に思ってしまったわけですね。

「実は、紹介したい人は、私のお姉さんなの!」

「う、うん。」

「働いている店があるから行ってみない?」

「お、おぅ。」

「やった!じゃぁ、今日の仕事後にね!」

ということで、仕事が終わったらプーといっしょにお姉さんが働いているという店に行くことになりました。このタイ人の言う「お姉さん」、実はクセモノなのです。血縁関係が無くても、親しい間柄の人は「兄/姉/弟/妹」になっちゃうのですよね。タイ語で言う「ピーพี่」とか「ノーンน้อง」です。この辺の感覚は、日本人にはなかなか理解しにくいところなんですが、同じ地方出身とか、同じ村出身なんていうと本当の兄弟姉妹よりも面倒見よく付き合ったりとか言うことも多かったりします。

店の営業が終わるのは23時で、片付けしたり、レジ締めしたりとバタバタして、全てが終わるといつも0時過ぎです。そんな時間から行って、開いてるのかなぁ、と思ったんですタイ料理屋は夕方に開いて夜中までやっている飲み屋的なところなども多いので、恐らくそういう所に行くんだろう、と思っていました。ボクもそういうタイ料理屋でちょこちょこ飲んだりしてましたし。店はどこにあるのかというと、部屋のある駅の近くだと言います。それなら面倒がなくてイイと、終電付近の電車に乗って、地元の駅へ戻ります(ボクも同じ駅に引っ越して住んでいました)。駅に着いた時は1時を回ったぐらい。しかし、こう考えると当時の労働時間、昼の休憩があったとは言え、完全どブラック、異常な世界ですねw

駅を降りると、彼女はずんずんと進んでいきます。が、その方向はその駅付近では一番店が無さそうな所というか猥雑な方向。飲み屋&ホテル街です。んー、と思いましたが、スナックの居抜きなどでやってるタイ料理屋もあると聞いていたので、そういうところかなぁ、と思いつついっしょに歩きます。程なく、彼女が『ココ!』と言ったのは飲み屋しか入っていない雑居ビルでした。エレベータで7階まであがります。彼女は慣れた足取りで左に曲がり、突き当りの店に入っていきます。その扉の雰囲気、看板。うん、完全に飲み屋さんですね。

ボクは彼女の言う「店」はタイ料理屋だと勝手に思い込んでいたのですが、それはタイパブだったのです!当時、この辺りにはタイパブやタイ料理屋も多くて、かつてはリトルバンコクと言われていたこともあるぐらいでした。タイパブ自体は働いていた店の社長に連れられて何度か行ったことはありましたが、自分で1人で行くことなんてありません。社長と行った時も、もちろんただのお客さんとしてです。後はせいぜい、さっき書いた夜中までやってる居酒屋的なタイ料理屋で、仕事終わりに飲みに来るオネーサン達と盛り上がって飲んだり、ぐらいでしたね。そんなボクが、まさかいきなりタイパブに来るとは思ってるはずもありません。お金もそれほど持ってきてないし、そもそも仕事終わりで汗だくベトベトだし…とか色々と考えていると、プーが戻ってきて

「早く入って!」

と入店を促されました。えぇい、ままよ!と意を決して入った所、果たして…タイパブの怪しい雰囲気は皆無。というか、普通に店内の照明がついています。営業は終わっていたわけです。その煌々と照らされる照明の下で、少し古くなった店の内装がいっそうみすぼらしく映りました。奥に進むと中には10人ほどのタイ人女性たち。みな、仕事着も着替えて、あぐらかいて床に座りながら食事中でした。ボクが入っていっても特に気にせず、食事を続けています。後にわかりましたが、こういうことはしょっちゅうあったんですね。店が終わるまでいたお客さんと、そのまま店でいっしょにごはん食べたり、食事に出かけたり等など。

プーが店から持ってきた料理を、その中に座る1人の女性に渡しています。

「これ私のオネーサン。ピーノック。」

お、おぅ。

ピーノック(小鳥、のノックです)と紹介された人は、これまたエラく可愛い人でした。床にあぐらかいて、手づかみでカオニオ(もち米)掴みながらソムタム食べてましたけど、可愛い人で。その彼女がこちらを見ながら、ペコリとワイ(タイ式の合掌)をしました。

「サワディカー!」

「あ、、さ、さわでぃくらっぷ」

「アナタ ガォ サン ネー ワタシ シッテル ナー」

(え、なんで?)

「プー ヨク アナタ ハナシ スルナー」

(え?そうなの?あ、もしかして俺を好きとか言ってる?)

「ピープイ ケンカ シゴト デキナイ ナー キャハハハ!」

ええぇえぇぇええぇえぇ!

「嘘!ピーノック、嘘言ったらダメでしょ!」

「キャハハ! ジョウダン ナー! プー アナタ イイ イッタ ナー タイリョウリ スキ イッタ ナー」

(嘘かよ!)

ということで、本当のとこはよくわかんないんですがwこの初めて彼女にあった晩、ピーノックはお客さんに飲まされて少し酔っ払っていたようです。上記の通り、彼女はプーに比べるとおちますが、ある程度のコミュニケーションは日本語でもできるぐらいでした。その日は、そのまま食事の座に加えてもらって色々と話を聞く流れに。プーは週に何度かこうして店から食事を差し入れに来ていること、ピーノックは同じ村の出身で(他の女の子たちも、その村もしくは近辺出身)遠いけど親戚で今はいっしょに住んでいること、ビザが切れてて不法滞在しながら働いている子がいること、スケベなお客さんのこと、大ママ(ママの更に上に数店舗束ねるママがいました)の彼がヤの付く自由業の方っぽいこと、等など…ドラマみたいなディープな話が多かったのです。

当時、ピーノックは27歳ぐらいでしたかね。店の他の女の子なども紹介してもらいつつ、多分3時近くまでいたと思います。当時のボクには彼女たちが話す内容は、結構なカルチャーショックでした。帰り際に電話番号を交換し、その日は帰宅します。そして次の日、ディナー営業が始まった頃、プーがツツツ、と寄ってきます。

「ガォさん、ピーノックに電話した?」

「いや、してないよ。なんで?」

「なんで電話しないの!?昨日、番号もらったでしょ!!」

「え!?あ、うん、もらったけど、昨日聞いたばっかりd…」

「もう!早くかけて!今!」

まさかの怒りモード。ということで、裏に入って電話します。コック達は、クックと笑ってたり。

「ノックさん?」

「オー ソウ ヨー ガォサン ゲンキ? ゴハン タベタ?」

「さっき、食べたよ。ノックさんは?」

「ママー タベタ ナー ハハー」

などと他愛もない感じで5分ほど、切り際に「キョウ ミセオイデー!」と言われました。その旨をプーに伝えると、ニヤニヤとしています。なんでニヤニヤしてるんだ、といっても答えてくれません。仕方ないので、いつもどおり仕事します。クローズ後にプーが来て、今日は私行かないからねー、と伝えてきました。あれ?そうなの?若干心細くはありましたが(何しろ百戦錬磨の水商売してるタイ人女性ばかり10人近くいるわけで)、サクリと店に到着してドアを開けます。

その日は、昨日と打って変わって静かでした。照明はついていましたが、店に残っていたのはママ(名前はレック、といいました)とノックだけ。聞くと、かなり暇だったらしく他の女の子は返してしまったそうです。これも後でわかったんですが、ノックは当時この店のチーママだったんですね。レックママが言います。

「ガォ、ごはん食べに行く?」

「どこに?」

「近所のお店よ!」

「んー、行こうか!」

別段用事もないですし、そもそもちゃんとノックと話したいと思っていたので、それに従うことにしました。少し歩いて着いたお店は、ホテル街のど真ん中にある、タイ北部出身のコックがいる飲み屋的な店。当時ここにいたコックは非常に腕がよく、またママとしてそこにいた子が器量良しで、よく気の付く子だったこともあって、タイ人ホステスはもちろん、アフターで訪れる日本人も多かった記憶があります。ここで知り合ったタイ好き日本人の方も多かったですねぇ。

ここで、3人でお酒を飲みだしたのですが、気がつけばノックの身の上話を聞く流れに。ノックが日本語で説明できない部分は、レックママが通訳する感じで。

と…今回はここまで。

タイ料理屋で働いていた頃の話・その4

勤務先のレストランにいた日本語の上手な女性スタッフ・プーに「(タイ語練習の)パートナーに!」と紹介されたのは、彼女と同じ村出身のノックという夜のお店でチーママとして働く女性でした。

ノックは一言で言えば、サッパリした女性。悩みや問題があったとしても、それは表に出さずいつもニコニコとして、また店で他の子達が悩んでいれば(ビザ関連・お金・男、がほとんどでしたが)親身になって相談に乗る、いい姉御肌の女性でした。ただし怒ると手が付けられないぐらいになり、ママも一目置いていました。外見的には、身長が高く、スタイルもよくて、タイ人にしては色も白く、顔立ちもはっきりとした美人系の綺麗さだったので、ガトゥーイ(タイのオカマ…みんな綺麗!)に間違えられることもしばしばでした。

日本にいるタイ人コミュニティ(恐らく他の国でもそうでしょう)、特に夜の嬢たちにはその手の「頼りになる」先輩オネーサンの存在は欠かせません。タイ食材や雑誌、ビデオなどをどこで仕入れるのか、ビザを上手に通すには、色々と詮索しない病院はどこか、日本人と結婚するのに必要なものは、等など…なんとか日本でうまくやっていくには、彼女たちのような先導役がいないと、後から来る女性たちが見知らぬ土地で暮らすのはなかなか大変なんだと思います。また、日本で伴侶を見つけて永住ビザまで取った人達など(彼女たちはそれを一種のゴールと見定めていたりもしました)も、みなに頼られる存在になっている人が多かったです。

さて、ノックの話。当時のボクは彼女より年上だったので「ノック」と日本で言うところの「呼び捨て」で彼女を呼んでいました。彼女がボクを呼ぶときには年上を表すピー+アダ名です。実は、ボクにはタイ式のアダ名「チューレン」があるのですが(ガォ、とは違うものです)そのアダ名を付けてくれたのは、何を隠そうこの彼女でした。本名に近いことと、趣味にしていたものから連想して付けてくれたのですが、もちろんとても気に入っていますし、今でもタイ人の友達からは、そのアダ名で呼ばれています。

そんなノックとレックママ、更にはその居酒屋のママもいっしょにホテル街のど真ん中、北なタイ居酒屋で飲むこと数時間。すでに外はしらじらと。夜の暗さが隠していた街のうす汚れた部分が、徐々に浮き上がって日常と入れ替わる時間が近くなってきています。そんな中でわかったノックに関することは…

  • 若い頃に結婚してタイには子供がいる
  • 元ダンナはアル中のヤク中で働かないし愛人といる(離婚届出せてない)
  • 日本には何度か来てて都合5年ぐらい
  • 大阪に親戚のお姉ちゃんがいる(日本人と既婚)
  • もうすぐビザが切れる
  • 日本人のパパ(≠ダンナ)がいる
  • 整形で胸を大きくしたいけど怖い
  • ディズニーランド、特にカントリーベア・ジャンボリーが好き
  • 『時の流れに身をまかせ』『襟裳岬』が好き
  • お刺身・寿司が好き
  • かりんとうが好き
  • 浅草が好き
  • カエルが嫌い
  • 好き&得意なタイ料理はカノムジーンナムギョウ

他にも色々とあったんですが、いやぁ、情報多すぎてお腹いっぱいです。タイは好きですし、彼女のことも綺麗だなぁ、と思っていましたが、パートナーになろう!とか言うレベルには、正直なトコ重すぎる感じでしたね、この時には。

暇だとは言え店でも飲んでたわけですから、ママもノックもかなりの酔いっぷりでした。もちろん、ボクも。気がつけばママはテーブルに突っ伏して寝ています。居酒屋のママは、イツモノコトヨー、というとどこかに電話をしました。ほどなく車がやってきて、背の小さく細っこい、メガネの男性が店内に。彼は、慣れた感じでママの隣に座り背中をさすって話しかけています。ノックが彼に何かを言いました。それとは無しに聞いてみると…おー!全部タイ語!彼はニコニコとタイ語でノックと話をしていたんです。

「す、すいません!それタイ語ですか!?」

「はい?タイ語ですよ。」

「日本語!日本の方なのですか!!」

「はい、日本人です。って、アナタ日本語で話しかけたじゃないですかw」

そう、ボクは酔った勢いで『タイ語で話してる!すごい!聞きたい!』となって、いきなり話しかけてしまったのです。そんな失礼なボクを拒否もせず、受け入れてくれたのは今考えても本当にビックリですし、ありがたかったです。みなさんのご想像通り、彼はレックママのダンナさんでした。濱岡さんという方で、親からの代の仕事を継いで会社をやってる社長さん。年齢は60手前ぐらい。過去にも結婚をされていたことがあるんですが、事情があってひとり身になった時にママと出会って結婚することになったという話でした。こうしてママが酔いつぶれた時には、いつもこうして迎えに来ているんだそうです。

「あぁいうお店でママが働いているの、嫌じゃないんですか?」

「仲間といると楽しそうですし。それに、家に1人でいてもつまらないでしょう?」

「それはそうですけど…変なお客さんも多いじゃないですか?」

「アナタみたいな?って冗談ですよ。浮気されたら、まぁそれまで。ワタシに魅力が無くなったって話ですし。そもそも離婚歴もあるオジサンですからね。」

「嫉妬とか無いんですか?」

「んー、そういうのはもう若い頃に無くしましたねw彼女はタイにダンナも子供もいますし。あ、でもちゃんと離婚していますよ。」

「え!?え!?」

段々と目の前の若干ちんちくりんなオッチャンがかっこ良く見えてきました。酔った頭でぐるぐる考えつつも話を続けます。

「さっき、タイ語で話されてたじゃないですか!?」

「そうですね。そんなに上手じゃないから恥ずかしいですけど。」

「いや、凄いです!どうやって覚えたんですか?」

「彼女と話したり、他の店に飲み行って覚えたりw」

「他の店にも!学校とかには?」

「いや、いや昼間は仕事ですし。もっぱら夜の学校と自習です。」

とオヤジギャグを交えつつ話してくれました。今思えば、よくいるタイプの『タイにどっぷりハマったおっさん』だったのかもしれないですが、そのステレオタイプな感じとは、またちょっと違った上品さというか、がっつかなさというか、なんだかいい雰囲気を持った人だったんですよねぇ。レックママも店に出るのは週2回程度で、確かに生活がかかってる!って感じではなかったのです。この濱岡さんとは、以後もかなりの頻度でいっしょに飲むことになりました。彼の言う「他の店」にも色々と行きましたねぇw彼にもアダ名がついていて、その体型からは全く想像つかないんですが、みんなにはピームー(豚、を表すムー)と呼ばれてました。

「ピームー イイヒト ナー ミンナ ダイスキ ナー」

いつの間にか机につっぷしているノックがつぶやきます。濱岡さんは、それをニコニコと見つめていました。

「さて、ワタシ達は帰りますね。ノックをお願いしますよ。」

「え、あ、はい!また!」

と、サクッと濱岡さんはレックママと帰って行きました。店に残されたのは、ノックとボク。ここのママやコックは片付けを始めています。とりあえず、ノックを送らないと…と彼女を揺り動かして起こします。

「ノック、帰るよ!」

「ワタシ ココ ネル ナー カエル メンドクサ ナー」

「ダメだよ!お店に悪いでしょ!」

「イツモ ネル ナー」

聞くと、確かによく寝ていくそう。とはいえ、さっき濱岡さんに「お願いします」と託されたことも気になります。

「ノック、やっぱり送るよ。ね?」

「メンドクサ ナー メンドクサ ナー」

彼女は面倒くさい、をメンドクサ、と言っていました。嫌がるノックを無理やり起こして、タクシーを拾い彼女の部屋を目指します。彼女の部屋=スタッフ・プーの部屋なので、ちょっとバツが悪いですが仕方ありません。ちなみにこの日、ボクの仕事はお休み。5分ほど走って彼女の住むマンションに到着。彼女はすでに夢の中です。肩を貸しながらエレベータに揺られます。腰に手を回して運ぶと、ノックの胸がちょっと当たって、なんだかドキッとしたり。でも重くてイラッとしたり。そうこうして部屋に着きました。早朝なので呼び鈴を押すのはためらわれましたが、鍵もどこにあるかわからないので、ピンポーン、と鳴らします。

扉を開けてくれたのは、初めて見る顔の女性。歳の頃はノックよりも少し上でしょうか。なんと、1DKの部屋に3人で住んでいたんですね。ボクがいることに別段驚きもせず、そのまま彼女は部屋に戻ります。仕方がないので、ノックを担いでそのまま部屋の中に。ソファーにはプーが寝ていました。洗濯物が干されたり、服が散乱してたりと、お世辞にも綺麗とは言えない部屋でしたが、女性が住んでいるんだなぁ、という雰囲気はある部屋でした。部屋の片隅には王様の写真と仏壇もありました(これは後でわかったんですが)。ノックは、この部屋の家賃を出しているので奥の寝室で1人で寝ているんだそうで、そっちに運んでくれと言われます。

ベッドに下ろすと、さっきの彼女がボクを呼びます。テーブルに、ビールとチーズおかき。きっと、こうやって彼女を送ってきた人も多いんでしょうね。ボクはもうかなり飲んでいてお腹いっぱいでしたが、せっかくなので…ソファーでは、プーがまだ眠っていたので、床に座って頂きました。その間に、彼女はノックをパジャマに着替えさせたようです。そして、ボクにTシャツとトランクス!を渡しました。

「何これ?」

「シャワー浴びるでしょう?」

「いや、大丈夫だよ。帰るから。」

「え?ノックといっしょに寝るんじゃないの?」

「寝ない!寝ない!送ってきただけだよ!」

「そうなの。。。」

彼女は不思議そうな感じで、また床に敷いた自分の布団へ戻って眠り始めました。三人のタイ人女性が眠る中、朝の光とともにビールを飲み干したボクは、何がどうなって、ココにいるんだろうか…とボンヤリと考えていました。思えばこれが、ボクとノックの始まりだったわけです。

タイ料理屋で働いていた頃の話・その5

同居している女性からもらったビールを飲み干した頃には、外は普通に朝日がさしていました。遮光では無いカーテンは、容赦なくその光を室内に迎え入れています。所在なさげに座っていたボクは、ぼーっとした頭で『帰ろう』と思い立ち上がりました。そして、少しよろけてソファーにぶつかります。眠っていたプーが起きました。

「ガォさん、痛いです。」

「ご、ゴメン。起こしちゃったね。」

「もうさっきから起きてます。学校行きますし。」

と、ソファーで布団にくるまっていた彼女はボクを見つめます。

「あの…シャワー浴びたいので、向こう向いていてください!」

「あ、あ、ゴメン…。」

謝ってばかリです。ボクがノックの部屋の襖を見ていると、後ろでプーが起き上がる気配がしました。酔っていたので、ちょっと見ちゃおうかなぁとか思いましたが。そのままプーはシャワールームへ。もうひとりの同居人は、まだ眠っています。ノックの部屋からは特に物音も聞こえないので、眠っているのでしょう。

プーがシャワーを浴びているうちに帰ろうと再び立ち上がると、ちょうど彼女が出てきました。ちゃんと、Tシャツにスウェットはいてました。

「ガォさん、帰るの?」

「うん、帰るよ。帰って寝るよ。」

「そう。ピーノックには、話しておくね。」

何を話すんだかわかりませんが。ボクはそのままフラフラと明け方の街に出ました。昨日の夜からのジェットコースターのような時間が終わって、そのまま部屋に戻り、文字通り泥のように眠りました。夕方前に起きたのですが、飲んでいたのは焼酎が多かったのでそれほどの二日酔いではありません。携帯電話がチカチカしてます。ノックからの着信。折り返し電話をします。

「…ハロー?」

「電話くれた?どうしたの?」

「ガォ オナカスイタ?ゴハン タベタ?」

「んー、まだだよ、起きたばっかり。」

「ウチ オイデ ハヤク!」

このタイ人独特『ハロー?』が耳に残っている方も多いんじゃないでしょうか。ゴハンを作ったから食べに来い!というお誘いでした。プーからノックのことを聞いて、まだ3日しか経ってないんですが、そんなのお構い無しです。この辺の距離の詰めっぷりというか、あっけらかんぶりもタイ人だなぁ、と思います。プーの職場の人間だっていうものもちろんあったとは思いますが。ということで、十数時間ぶりにノックの部屋に戻ります。部屋に行くと、例の同居人(名前は確かナーム(水)だったと思います。印象薄くて忘れてるw)とノックがいました。ちなみにナームは元々ノックと同じ店で仕事をしていたのだけれど、体調を崩して今は店に出ていず、そしてこの日の1週間後にはタイに帰ることになっていました。プーは学校から店に直接向かったようです。キッチンからは、いい香りがしています。

「コレなに?タイ料理?」

「ソー ノック イナカ リョウリ ナー カノムヂーンナムギョウ ナー」

飲んだ日に言っていた、彼女が好きだという料理でした。実はこの料理、まだボクは食べたことがなくて、話を聞いた時に食べたいと言っていたのです。覚えててくれたんだなぁ、とちょっと嬉しく思いながらソファーに座って待っていると、ナームがビールを持ってきてくれます。なんで彼女はいつもビールを持ってきてくれるんだろう…と、まぁグビグビ。ほどなく、ノックが鍋ごとそれを持ってきました。続いて、ざるに一口分ずつ巻かれた素麺が。

「ヨシ タベル ナー イタダキマス!」

「いただきます!」

実はタイ語には「いただきます」に当たる言葉はありません。けれど、ノックは「いただきます」「ごちそうさま」という日本語がとても好きだと言っていました。彼女も多くの夜の女性と同じく貧しい暮らしを経験していましたし、とても信心深く、朝晩のお祈りを欠かさないような人だった(酔っ払うと寝ちゃうけど)のでゴハンに感謝するという日本語の感覚が合ったのでしょう。見ていると、素麺の塊を1つ、2つとお皿に置いて、その上から鍋の中の汁や具をザバッとかけています。見様見真似でボクも同じように実食。か、辛い!今ではかなり辛めのものも平気になったボクも、当時はまだまだヒヨッコ。かなりガツンと来ました。ノックもナームも笑っています。

カノムヂーンナムギョウ自体は、元々それほど辛い!という料理ではないのですが、ノックの好みで辛くしていました。トマトや豚ひき肉が入った具沢山の汁です(見た目はこんな感じ)。本来ならばスペアリブや豚の血の塊、ドックニゥดอกงิ้วと呼ばれる花のめしべ?おしべ?の部分(干したえのきみたいな食感でなんだかハマりますw)などが入るのですがここは日本ですので全ての材料は揃わないのは仕方なし。この時にはそれもわかっていませんでしたが。スペアリブの代わりは骨付きチキンと鶏の足(モミジと呼ばれる部分)でした。鍋からモミジがちょこちょこ見えていたのを強烈に覚えています。タイの本当のカノムヂーンは、発酵させた米をところてん方式で押し出した麺なのですが、日本ですのでいわゆる素麺です。そして、タイ人は日本の素麺かなり好きですw

食事が終わっても、鍋の中にはまだタップリと残っていました。ノックはおもむろにそれを厚手のビニール袋にザーッと開け、器用にクルクルと口を輪ゴムで止めます。ちょうど屋台の綿あめみたいに空気がパンと入った綺麗な袋になりました。タイではおなじみの風景ですね。聞くと店に持っていくと言います。店の女の子達の食事になるのです。

「ガォ キョウ ミセ クル?」

「いや、明日仕事だから、今日は行かないよ。」

「ソッカー…」

この「…」の部分の時の切なそうな顔ったら無かったんですが、正直連日の朝までコースでは潰れてしまうので、この日は自重してそのまま自宅に帰りました。店に出たノックからは、暇だったのか何度か電話がかかってきて、他愛もない話をしたり。ボクは0時前には寝てしまったんですが、終わったらしい2時過ぎに電話がかかってきました。

「ガォ ナニ スル?」

「え、何もしないよ。寝てたよ…。」

「ソッカー ネルカー オヤスミ ナー」

正直ちょっとうざいぐらいの勢いでガンガンと来ますが、それをあまり嫌がっていない自分がいました。居酒屋で聞いたヘビーすぎる話を補って余りある、彼女の魅力に徐々にやられ始めていたわけです。明くる日は普通に仕事をして帰宅、そのまま就寝。電話もかかってきませんでした。というか、ここから何日間か全く連絡なし。こちらも仕事の忙しさと疲れで、気にはなっていたものの電話をする気力もありませんでした。そんな日々が1週間ほど過ぎた頃、ボクが働いている店にノックがやって来ました。しかも男連れで。

彼女はいわゆる同伴で店に来たようです。わざわざタクシーに乗って!しかも、後でわかったんですがこの男性がノックのパパでした。彼女はボクに特に関心も示さず、プーと楽しそうに話しながら、料理をオーダーし、お酒を飲み、帰っていったのです。この時に、ボクの中にハッキリと嫉妬感情が湧くのがわかりました。

「プー、なんでノックはウチに来たの?遠いでしょ?」

「…。」

「あの男の人誰?なんか偉そうだったけど。」

「…。」

「プー!聞いてる?」

「聞いてる!ガォさん、ピーノックに連絡しないでしょ!!」

「え?」

「ピーノック、怒ってるよ!ガォさん電話しない!って。」

「え?」

「彼氏は、ちゃんと電話しないとダメでしょ?」

「えーーーーーーーーーーーー?」

どこでどうなったかわからないのですが、彼氏になっていたというのです。いやいやいや。しかも、1週間しか経ってないのにキレてる…。彼氏だっていう人間の店に、パパを連れてくる…いやぁクラクラきます。まぁ色んなタイ人と付き合ってきた今になってみると、その行動とか言動は、よーくわかるんですけどね。当時は本当にクラクラしました。でも、このプーの言葉に、ボクは喜びを感じてしまったわけです。ハマってしまってたんですねぇ…。ボクは店から頼れるあの人に電話をしました。そう、濱岡さんに。

「カクカクシカジカで…」

「あはは。そうですか。今日、仕事終わりにでも飲みましょうか。」

「ぜひ、お願いします!」

この日、ボクは濱岡さんに『タイ人女性との付き合い方』を色々とレクチャーしてもらいました。もうそれはメモを取る勢いで。そして、いくつかのキーポイントを聞きました。

  • マメであること
  • 常に褒めること
  • 浮気をしないこと
  • タイ語を話すこと

ここでもまた『タイ語』が出てきました。やはり、そこは避けては通れないのです。濱岡さん自身の経験で、たとえ日本語ができるタイの子でもタイ語で話をしたほうが圧倒的に仲良くなれるし、理解が深まる。本気でタイの子と居たいと思うなら、タイ語は必須だよ、と言われたのでした。

タイ料理屋で働いていた頃の話・その6

濱岡さんと飲んで色々とレクチャーを受けたボクは、次の日、仕事の合間を見つけてノックに電話をしました。そうアドバイスの一つである「マメさ」を実行です。しかし呼び出し音はすれど、彼女は電話に出ません。時間を何度か替えて電話しましたが、それでも全く出ません。意地になってかけますが、いつになっても出ません。プーに相談しても、私は知らない!と連れない返事。仕方ないので、仕事終わりに店に行くことにしました。

その晩はまだ店が終わっていなかったので、入口近くのテーブルに座って、普通にお客さんとして飲み始めます。当時は1時間のセット、焼酎かウイスキーが飲み放題で4000円ぐらいだった記憶があります。ノックは他のお客さんについていました。レックママがテーブルに来ます。

「ノックとケンカしたの?」

「ケンカっていうか、何にもしてないんだけど…ノック、怒ってるみたいね」

「そうなんだよね…でも大丈夫よ」

タイ人あるあるな感じの『何の根拠も無い大丈夫』ですし、そもそも何に対しての大丈夫なのかも分かりませんが、ママが言うなら大丈夫なのかなぁ、と思いつつお酒を飲みます。しばらくすると、ノックが席にやって来ました。背が高いので、やはりロングドレスが似合います。ボクの半分まで空いたグラスを見ると、黙ってお酒を作り始めました。自分の分も、勝手に頼んでいます。乾杯もなく、飲み始める彼女。何を言えばいいのか分からなかったので、とりあえずボクも黙って飲み始めます。サクッとグラスが空いて、またノックが作ります。こんなことを繰り返しつつ、ふたりで黙って飲んでいると、新しいお客さんが入ってきました。イラッシャイマセー!お客さんを迎える声、その先を見てみると…なんと同伴で店に来ていた、ノックのパパです。ちらりとノックに視線を落として、奥のテーブルへと歩いていきます。

ボクはこの時、なんとも言えない感情に苛まれていました。結局、この日初めて彼女に対して発した言葉は、全く情けない事に「あっち(のテーブルに)行かないの?」でした。彼女はボクをじーっと見つめたあと、自分の手をボクに絡め、ギュッと腕にしがみつきました。

「イカナイ ナー ガォ ト ココ イル ナー」

ここから、ノックは話し始めました。パパはあくまでもパパであって、好きな人では無い。でも、タイの実家の子供の面倒も少し見てくれていたりして、優しい。あの日は、同伴でウチの店に来て腹いせをしたつもりだったのに、結局はパパにもガォにも悪いことしてる気がして、余計に悲しい気持ちになった。パパとはもういっしょに居たくなくなってしまった(=当然、お手当も無くなる)…ガォといっしょに居たい、そんな感じの内容でした。俄には信じられませんが、彼女は本気でそう言っているようでした。ただの雇われのタイ料理屋の店長の、何に、ドコに、惹かれてくれたのか!でも、縁というか運命というかそういうものを感じる出会いもある!と思っちゃうことありますよね?(無い?)ボクにとっては、ノックとの出会いはそんな感じだったのかもしれません。恋愛自体、ここまでに色々と経験はしていましたが、この一連の流れとこの先のジェットコースターの様な時間はなかなか経験することが出来ないものでした。

とはいえ、今までのパパとの関係性や過ごした時間もありますから、そう簡単に切れることも出来ないでしょう。レックママに促されて、パパの席に行くノック。やがてパパの大きな声も聞こえてきました。少し酔っ払いながらその光景を見たボクは、やっぱり寂しい気持ちがしたのです。出会いの当初に感じていたノックの生い立ちや現在の状況に対する『重さ』は、この時点ではもうボクへの抑制力など無くなってしまったようでした。ミミーと呼ばれていた女性がノックの代わりに席に来ます。この子は、綺麗でも可愛くもないんですが、とても愛嬌があって、日本語もうまかったのでそれなりに人気がありました。彼女はボクとノックの事も知っていて(というか店の子はみんな知ってました)、情報を色々と教えてくれました。知っていたことも知らないこともありましたが、ある程度は想定内でした。

結局その日はノックが席に戻ることはなかったのですが、さっき彼女から聞いた一言でボクには十分でした。とりあえず、これからゆっくりと関係を作っていけばいいかなぁ、と思っていたのです。お会計をして外に出た時に、レックママもいっしょに出てきました。

「ガォ、お店にはもう来ないほうがイイね。」

「そう?」

「うん。ノック、お客さんいっぱいいるでしょ?」

「そうか。そうだよね…。」

考えてみたら当たり前です。女性を売り物として仕事をしているのに、そこに彼氏(と呼べる状態かはわからないですが)が居てしまったら、お客さんはドッチラケですからね。でもパパは店に普通に来てるけど、それはいいのか?お金持ちだから?彼氏じゃないから?んー…雑居ビルのエレベータで下りながら、そんなことを色々と考えていたら、3階で扉が開きました。

このビルの3階にはタイ食材や調味料、タイ野菜、それから雑誌やタイのテレビを録画したCDなどを売っている店があり、この街のタイ人たちからとても重宝されていました。店自体は日本が長いタイのオバチャンと、その息子が切り盛りしています。息子の名前はジョー。そのジョーが開いた扉の前にいました。ボクは店の食材が無くなったりするとここにちょこちょこ来て買っていたので、ジョーとも顔見知りです。歳もほぼ同じぐらいで妙にウマが合う相手でした。

「お!ガォ!元気?どこ行くの?」

「今、上で飲んでたんだよ。帰るトコ。」

「そうなの!?ごはん食べた? せっかくだから、飲みに行こうよ!」

「え?」

ジョーはいつもニコニコしていて、フレームの細い丸メガネが似合う、優しいタイプのタイ人でした。顔もタイ人というよりは中国人ぽくて(華僑だったんだと思います)、奥さんは日本人でした。日本が長いこともあって、日本語は読み書きも含めてかなりのもの。結局、彼の勢いに押されてそのままハシゴ酒です。どこに行くとも言わず歩いていくと、着いたところは店内はかなり暗く、深い青い照明とブラックライトが光り、ミラーボールが輝いています。そこはパブではなくてカラオケでした。タイのカラオケも置いてあり、付近で水商売をしているタイの子達が遊びに来る感じです。聞くと、この店はジョーが経営していて、カウンターの中にいる若くて綺麗なタイ人女性はジョーの彼女だといいます。

「え?ジョーの奥さん?」

「違うよ、ワタシの彼女。」

「浮気ってこと?」

「んー、ミヤノーイだよ。日本語だと、お妾さんネ。」

そんな日本語を知ってるのも驚きですが、お妾さんに堂々と、しかも日本で店をやらせているというのに驚きました。カウンターの彼女もジョーに奥さんが居ることも知っているのです(タイだと今でも結構多いです。奥さんとお妾さんのバトルとかたまにニュースになったりしてます)。正直、小さな雑貨屋を親子でやっているタイ人、という認識しか無かったのですが、他にも色々と商売をしているやり手な彼でした。とりあえず、そこで乾杯して飲みだすと、次々にタイ人女性のグループが入ってきます。それぞれのテーブルを回り、いっしょに乾杯をするジョー。ほぼ同じ年で、自分の店を(しかも妾までいて!)異国の地でちゃんとやってるんだなー、と羨望と嫉妬が入り混じった感情でその光景を眺めていました。女の子も色々と紹介してもらって、いっしょに飲んだり、カラオケ歌ったり、ガンガンとルークトゥン(当時はそんな呼び名は知りませんが)かけて踊ったり!すっかり酔っ払ってしまいました。結局、その日はそのまま酔ってジョーの部屋に泊まったのですが、ノックからの連絡は無し。明くる日からは、また普通に仕事の日々が続きました。色々と考えて思うところもあったのですが、ボクからは電話はかけず。プーと職場で会っても、情報交換は特にしません。そんな中、ノックからの電話が来たのは、ジョーと飲んだ日から1週間ほどした頃。ちょうど、彼女のお店が終わったぐらいの時間です。

「ガォ ゲンキ?ゴハン タベタ?」

「元気。ゴハンは店で食べたよ。」

「パパサン バイバイ ナ」

「そうなの?」

「ソー バイバイ レオ ナー」

この時彼女が「バイバイレオ」と言ったことをとてもよく覚えています。あー、レオは、タイ語で過去形を表す言葉だったなぁ、と勉強したことを思い出していました。彼女は『パパとさよならした』と言ったわけです。ボクとの連絡が無い間にパパと話して別れることにしたみたいでした。店には来るけれど、普通にお客さんとして来るだけだと言います。それを聞いたボクは、彼女に言いました。

「ノック、今から会おうよ。」

「ウン イイ ナー ミセ マッテル ナー」

次の日も仕事でしたが、そんなことよりも、今すぐに彼女に会う事が大切だと思ったのです。夜中の街を彼女の店へと急ぎました。

タイ料理屋で働いていた頃の話・その7

時刻はすでに0時もとうに回っていましたし、明日も仕事でしたが兎にも角にも彼女に会いに行くべきだと思い、店へと急ぎます。レックママからは店には来ないほうがイイと言われていたのは覚えているけど、営業時間外なら問題ないはずです。考えている内に、店に到着。営業は終わっているようです。中に入ると、ノックがひとり座っていました。服もすでに普段着に着替えています。ボクを見ると、ニコリと微笑むノック。しばらく言葉もなくお互いを見ていました。

「ゲンキ?ゴハンタベタ?」

「さっきも聞いたよw ノックは?」

「ウン オナカ スイタ ナー」

ふたりで店を出て、例のホテル街のど真ん中にあるタイ料理屋さんへ。ノックは特に人目も気にすることもなく、腕を絡めてきます。店に着くと、レックママと濱岡さんのふたりがいました。濱岡さんは、こちらに気づくと、やぁ!と手をあげてくれたのでそのまま同じテーブルに着かせてもらうことに。いっしょに飲みというか、食事をはじめました。濱岡さんは、普段と何ら変わりなく淡々とした感じでいます。妙に覚えているのですが、その時に濱岡さんは「ほうとう」の説明を延々とレックママにしていました。

ノックは普通に食事していますし、レックママも特に何を言う訳でもありません、他愛もない話をしながら皆で食事を続けます。とはいっても、もう1時は回っていて、気がつけば、他のタイパブで働く子達も続々と来店。深夜にもかかわらず店は満席です。食事だけだと申し訳ないので、ボク達は濱岡さんとレックママに挨拶をして店を出ることに。ノックがもう少し飲みたいというので、ジョーの店に向かいました。

ジョーの店もそこそこの入りですが、普通に座れました。ふたりで座って飲み始めると、ジョーとジョーの彼女もテーブルにやってきます。ノックとジョーの彼女は仲良しらしく、ボクらの経緯も知っていました。何とは無しに乾杯をして、ゆったりと飲みます。その夜はカラオケを歌う人もおらず、珍しくしっとりとした営業。気がつけば、ふたりともそこそこ酔っぱらっていました。ジョーに挨拶をして、店を出ます。ふと、明日の仕事が頭をよぎりました。

「さて、そろそろ帰ろうか。」

「ガォ アシタ シゴト?」

「そうだよー。もうほとんど今日だけど。」

「イッショ カエル ナー」

一瞬、寝たいんだけど…とか思ったのですが、それを見越したようにサクッと腕を回してキスをしてくるノック。まぁ、さすがに今日はそうなる予感はしていました。ノックの部屋にはプーもいるので、ボクの部屋に来ることに。男のひとり暮らしの殺風景な部屋ですが、掃除は嫌いじゃないので汚くはありません。ノックは興味津々に部屋の中をチェックします。その内に、テレビ台の上に置いてあるフォトフレームに入った写真を見つけました。手にとってじっくり見るノック。

「コドモ? オンナノコ?」

「そう、女の子だよ。俺の子。」

「ケッコン スルカ!オクサン アルカ!」

目を白黒させるノック。その目は、徐々に怒りと驚きとに満ちていきました。

「もう、離婚して随分経つんだ。今はひとり。子供にも会ってないよ。」

「……」

そうなんです。ボクは若い頃に結婚していたことがあって、その時に出来た子供の写真を飾っていたのです。その子は現在、もう20歳を越えています。向こうは再婚したので、子供には新しい父親がいるわけで。なので、会いに行くこともしていませんでしたし、連絡も手取らずという状態でした。ノックは怒ったのがバツの悪そうな顔をしています。

「……ソカー サビシ ナイ?」

ん、今は無いよ。

「ノック サビシ ナ コドモ イナカ ナー」

なんとなくそういう(どういう?)雰囲気は飛んでしまいました。正直、ボクは時間も随分経っていたので、子供に対しての寂しさ的なものは、当時はすでに乗り越えつつあったのです。しかし、ノックはそうでは無かったようで、酔っていたこともあり、一度子供のことを思い出すと、そのまま涙ぐみ始めてしまいました。何を言っても白々しくなりそうだったので、ひとまずシャワーを浴びに行きます。ボクはもう3時間もすれば出勤。ウッカリ寝てしまうわけにも行かないので、当時好きだった競馬中継の録画を見始めました。ノックもシャワーを使い、出てきて隣でそれを見ています。着ているのはボクの着古したグレーのスウェット上下でした。それを着たノックがなんだかえらく野暮ったく見えて、思わず笑ってしまいます。つられてノックも笑います。

「ガォ ラック ナー」

ビデオの競馬中継を見ながら、ノックが言いました。ラックナー รักนะ、の意味は調べてみてくださいwこの日から程なくして、彼女はボクの部屋に住み始めました。猥雑な街の片隅の小さな部屋で、ボクと彼女の暮らしが始まったのです。

と、そこから3ヶ月程。ふたりの生活は特に大きな波乱もなく、ある意味淡々と過ぎていきました。気の強い子だったので、ケンカをすることも多かったのです(そして滅多なことでは謝りません)が、タイ人独特のあっけらかんとした部分で次の日には元通りです。そして、外で飲むことが多かったふたりですが、いっしょに住むようになってからは、自宅で飲むことが増えました。ただ、週末になるとノックの店は忙しく、帰宅も遅かったのでボクはひとりで部屋に居たり、濱岡さんと飲むことがとても増えました。濱岡さんには、本当にお世話になったなぁ…。ボクもノックも、お互いに仕事は普通に続けていました。が、ノックのビザの期限が迫っていたのです。そもそも彼女のビザは正規のビザだったかどうかも…。

「ガォ イナカ イッショ イク カー?」

「田舎?ノックの?」

「ソウ ノック イナカ ナー」

実は、この時点での会話は半分以上はタイ語になっていました。日本語とタイ語のちゃんぽんです。店のコック、ピープイに言われた『タイ人の彼女作れば、タイ語なんてあっという間に覚えるよ』を、正に地で行っていたわけです。このいっしょに住んだ三ヶ月、ノックにも極力タイ語を話してもらうようにすることで、ボクのタイ語能力は、それまでと比べると飛躍的に伸びました。ただ、後から考えるとここで彼女と話して覚えたタイ語は、正直汚い言葉が多かったり、女性っぽい言い回しだったりと、色々と問題もあったんです。それこそタニヤ大学的な。でも、店で働き始めた当初から比べたら、リスニング能力は相当に鍛えられましたし、タイ語の雰囲気や言い回しは随分とマスターできたのは確かです。また、様々なタイの家庭料理を覚えたのもこの頃。ノックは相当に料理上手でした。

彼女は一度タイに帰って、しばらくは子どもと暮らそうと思っていると言いました。恐らく、日本で働くことで、送金もできたし、ある程度の蓄えが出来たのだと思います。ボクにいっしょに帰ろうと誘った意図は、その時点では分かりませんでした。しかし、この頃すでにボクは彼女をちゃんと好きになっていましたし、彼女がそういう店で働くことを必ずしも喜んではいなかったので(まぁお客さんなどへの嫉妬ですね)、一度田舎に帰るのは、むしろ賛成でもありました。ただ、例のろくでなしのダンナも田舎にはいるわけです。そんなのに関わってもロクな事にはなりません。ノックに真意を問いただしますが、特に理由はない、彼氏だからいっしょに帰りたいだけ、と言うばかりです。

彼女の田舎は、チェンライの空港から車で2時間弱ぐらいのパヤオというところで、当時、タイの中でも最貧県と言われていた場所です。しかし、このパヤオは美人の産地とも言われていて、ここ出身(というか北出身は今でもそう言われますが)の女性は昔から美人が多く、水商売や風俗を生業とする女性もとても多かったのです。最近も恐らく、多いんじゃないでしょうか。今でもタイのその手の店で日本人に人気なのは、北の県出身の女性が多いと聞きます(欧米人は東北地方の女性を好むことが多いみたい)。北だけではなく、更に北のミャンマー国境のタイヤイの女性もとても綺麗ですが、その辺の話はまた今度。ボクは当時、バンコクの経験はそこそこあって、チェンマイにも行ったことはあったけれど、それ以外の北の県には行ったことはありませんでした。

タイ料理屋で働いていた頃の話・その8

ノックとともに彼女の田舎・パヤオ県に行くことに決めたボクでしたが、いっしょに行くと言ってもそう簡単ではありません。彼女はお店をやめて帰るだけの話ですが、ボクは一応仕事をしていましたし、当時は連休ですら取れないぐらいのシフトでした。しかも、店ではたったひとりの日本人スタッフで、お客さんとの接点にもなっていましたし、仕事自体も好きでした。とりあえず、店のボスである、厨房のピープイに相談してみることに。

「カクカクシカジカなんだけどさ…」

「で、ガォは行きたいの?行きたくないの?」

「そりゃ行きたいよ。」

「じゃぁ、行きなさいよ。店はどうにでもなるわ。ノックはイイ子よ。」

サッパリしたもんです。少しは止めてくれるかとも思ったんですがwオーナーとも話をしましたが、感じとしてはピープイとあまり変わらず。淡々としたものです。今思えば、タイ人らしい対応だったなぁ、と思います。来る者拒まず、去る者追わず。話をした二日後には後任だという日本人スタッフが入りました。若くて、背が高くエラくイケメンで、そして、タイ語ベラベラ!というか完全にネイティブ並なのです。聞くと、タイ人と日本人のハーフとのこと、更に聞くと、なんとオーナーのお兄さんの息子さんらしいのです。この店の他の支店で店長をしているとのこと。そんな逸材が居るなら、とっとと入れてくれればよかったのに…と、今後はボクが働いていた支店といっしょに統括で見てくれることとなりました。

サクッと無職になったボク。有給が溜まっていたんですが、オーナーの計らいで、1ヶ月分の給料を丸々先払いでもらえました。これで当面の資金も問題無し。最後のアドバイスは、そうです、いつもの濱岡さんです。

「カクカクシカジカで…」

「そうですかー。パヤオ行きますかー。湖の綺麗なイイところですよ。どれくらい行くんですか?」

「決めてないんですよ。」

「それなら、2週間ぐらいにするとイイかもです。」

「なぜ2週間?」

「それ以下では『生活している実際の雰囲気』がわかりません。それ以上だと情が移って悪い所に目をつぶるようになってしまいます。」

これ、聞いた当初はあんまり意味が分からなかったんです。好きでいっしょに行くんだから、情が移るも何もないよなぁ、と思って。しかし、今になってみるとこの言葉の重みが十二分に分かります。情が移るというのは、こちらからだけではないんですよね。相手からの気持ちも変わってくるんです。そして、良くも悪くもこちらを慕ってくれると、ある程度のことに対しては「仕方ないかぁ…」という感情が生まれてしまいます。正に情が移る状態です。相手側も、慕うというよりも「甘える」という感じになります。そして甘えが『当然』に変わるのにさほど時間もかかりません。ボクが今まで関わった低所得者層タイ人達の傾向として、金を持っている親兄弟親戚などの人間に対して頼るというのは、至極普通だったりします。持っている人が払うのが当然というか。ノックの彼氏ということは、ボクもそういう対象で見られてもおかしくないわけです。しかし、ボクはまだ結婚を決めていたわけでもなく、ノックに出会ってからも時間が長く経っているわけでもありません。それもあって、濱岡さんはこのアドバイスをくれたんだと思います。

チケット取ったりなんだかんだで時間を取られるので、ノックは1週間ほど先にタイに帰って、ボクはあとからひとりで追いかけることに。バンコクに着いたら、国内線に乗り換えてチェンライ空港を目指せばいいとのこと。ちょうどノックのお姉さんも帰るというので、バンコクの空港で待ち合わせることとなりました。会ったこと無いんですが、いっしょにチェンライ空港へ行きましょう、という事に。彼女はノックのお姉さん(実際は親戚のお姉さん)で、大阪で女の子のいる店を経営しているママだといいます(旦那さんは日本人)。ノックのお姉さんという事だし、女の子の店をやってるような人だから、きっと綺麗な人が来るんだろうなぁ、とちょっと期待していたんですが、空港に現れたのは「今くるよ」みたいなコテコテの大阪なおばちゃんでしたwお腹ちょーでてるし。性格は明るくて楽しんですけどね。とりあえず無事に落ちあって、チェンライを目指します。いびきをかくお姉さんを横目に、短いフライトです。

チェンライ空港に到着して、外に出てみてびっくりしました。なーんにも無いんですよ。今はどうだかわかんないですが、ボクが行った当時は何も無かった記憶しかないのです。って、まぁ空港なんてどこも同じようなものかもしれないですが、笑っちゃうぐらい何もありませんでした。とりあえず、荷物をガラガラとしながらタクシー乗り場へ。そこに、車のクラクションが聞こえました。

「ガォ!」

ノックの声です。声の方向を見ると、一台のピックアップ。運転席には男性、助手席にノック、荷台には4人ほどの子供が。いきなりわけがわかりません。助手席からノックが降りてきます。

「ノッテ ノッテ!」

「って、どこに乗ればいいの?」

「ココ!」

ココ!と指差されたのは、当然のように荷台でしたwそんな予感はしていましたが。乗っていた子供達はボクと入れ替わりに空港で降ります。後で聞いたところ、近所の子供でドライブがてら空港まで遊びに来たらしいです。空港内で遊ぶとのこと。あとで、子供のうちのひとりの親御さんが迎えに来るんだそうです。自由。お姉さんが助手席に乗り込み、ノックとボクは荷台に。運転席の男性は、最初に見た時はノックのダンナかと思って少し構えたのですがそうではなくて、親戚のお兄さんでした。1週間ぶりに会うノックは、ショートパンツにTシャツ、サンダルと、とてもリラックスして見えました。荷台では風切音が煩くて、ロクに話もできないのでふたり共特に話はしません。でも、お互いの顔を見たり、手を握ったり。2時間弱ほど車に揺られた頃、やっとノックの住む村へと到着しました。

途中で広大な湖を通ったり、森の中を抜けてきたりと、かなりの自然を感じます。というか、平たく言って凄まじい田舎です。ノックの村も、決して裕福な感じには見えませんでしたが、ところどころかなりの豪邸が建っています。聞くと、バンコクや国外に出稼ぎに出て外国人(聞いたのは日本人、スイス人、ドイツ人でした)の伴侶を得た人たちが建てた家とのこと。びっくりするぐらい大きい家もありました。ほどなくノックの家に到着。なんとコレが道中で見た豪邸に負けず劣らずの、三階建てコンクリート打ちっぱなしのオシャレな豪邸でした。ノックの稼ぎとパパさんの援助で建てたらしいですが、真相はわかりません。ボクは正直、空港で出会った子どもたちや、荷台でのドライブ、道中でのやりとりなんかですでに結構クラクラきていました。バンコクとは全く違うタイ。なんというか、異文化に触れすぎてキャパオーバーになってた感じです。そのまま自宅へと案内されます。中もなかなかに豪華でした。運転手だった親戚のお兄さんに小遣いをあげるノック。彼はワイをしてそれを受け取ります。田舎に帰ってくると、ノックは完全に女王様なのがわかりました。

リビングに入ると、ノックのお父さんが座っていました。一応、タイ語で挨拶するも一瞥をくれただけで、ほぼ無視。お母さんは一応にこやかに対応してくれた記憶があります。そして、ノックが男の子を連れてきました。そう、ノックの子です。チューレンはブックといいました。ボクは勝手に小さい子を想像していたのですが、結構大きくてびっくり。後で聞いたら10歳だとのこと。ノック、かなーり早く子供産んだんですな。そして、こちらは全く目も合わせてくれません。後になって照れていたのだとわかりましたが。挨拶もそこそこに、リビングの隅にあるPCへ。オンラインゲームが好きで一日中やってるんだそうです。

とりあえずボクが寝泊まりする部屋へ案内してもらいます。3階の1室でエアコンも完備でした。この家の中で、エアコンがあるのはこの部屋とリビング、あとはノックの部屋だけでしたね。疲れもあったので、水浴びをして(シャワーは壊れていたので、大きな瓶に水が貯めてありました)サッパリ。着替えてリビングに行くと、ビールが用意されていました。ノックが買ってきておいてくれたようです。お父さんといっしょに飲みます。ボクがサクサクと飲むのを見て、お前は酒が好きか?と聞いてきました。好きですよ、と答えるとダメだな!酒好きの男はダメだ!とイイながら笑って、自分もサクサク飲みだしました。ノックはお母さんといっしょに夕飯の準備をしながら、それをちょこちょこと見ていたり。この時には、まさかあんなことが起こるなんて、夢にも思っていなかったのでした…。

タイ料理屋で働いていた頃の話・その9

なんだかんだでノックの田舎であるパヤオ県まで来てしまったボク。道中含め色々とタイの田舎のカルチャーショックを浴びつつも、なんとかノックの自宅に到着して、夕飯に辿り着くところまで来ました。その前にビールにて晩酌をしていると、さっきまでつっけんどんだったノックのお父さんがいっしょに飲みだしたわけです。酒飲みはダメだ、と言いながら自分もガブガブと飲んでました。飲みニュケーションとはよく言ったもので、大してタイ語がわからないボクと、日本語は全くわからないお父さんもなんとか意思の疎通をしつつビールを酌み交わします。最初にあった時のブスッとした雰囲気は無くなって、なんだか上機嫌なお父さんに変身です。

そうこうしている内に、ノックとお母さんが作っていた料理が出来上がり、次々にテーブルに運ばれてきました。ちなみにこのテーブルですが、木の種類はわからないもののかなり立派な一枚板で、ノックの自慢の一品でした。一体いくらしたんだか…料理はガッツリと家庭料理です。そして、タカテンと呼ばれるタイではポピュラーなイナゴの素揚げから、コオロギ・アリ・セミなどの虫料理が多数。コオロギ料理は丁寧に2種類。チクンと呼ばれる大きなもの(ナームプリックというすりつぶしたディップみたいにして野菜とかもち米に付けて食べます)と、チンリーと呼ばれる小さなもの(素揚げにしてスナック感覚で)がありました。ノックがいるので資金は潤沢ですから、他にもかなりの種類・量の料理がありました。

「ガォ!リョウリ ソト ハコブ ナー」

「外って…どこ?」

彼女が指さしたのは庭です。みると、レジャーシート的なものの上に車座で沢山の人が座っています。そして、庭の片隅には屋根の着いた部分があり、ここにカマドや焼き場もあって料理が作られ続けています。こっちでは主に煙が出る、肉や魚の料理が作られていました。気がつけば、近所の人や親戚の人なんかがどんどんと集まってきている様子。どうもノックが帰ってきたので、宴会が開かれるようです。それにしても、人が多い。みんなタダ飯・タダ酒には敏感です。

働いているのは基本的に女性ばかりで、男性はダラダラと酒を飲んだり、雑談したりと仕事らしい仕事は特に何もしません。これはタイだとドコに行っても同じ風景でしょうね。そして宴会はなんとなーく、始まっていきました。家の中からカラオケセットが持ち出され、オバチャン達が陽気に歌い始めます。けたたましく笑ったり。その横では、もちろん踊ってるオバチャンが。鯛や平目の舞い踊りとは行かないですが、かつては綺麗だったはずのオバチャン達がニコニコと笑いながら、歌い踊るのを見ているのは何だか不思議な光景でした。

後でノック聞いてみたところ、1/4ぐらいの人はそれほど知らない人だと言います。それを聞いた時には、へぇ…と思いました。まぁ昔の日本も上棟式の餅まきとかには近所のそれほど知らない人が集まったでしょうし、同じような感じかもしれないですね。村には特に娯楽もないので、こういう宴会には集まってくるのだそう。おっちゃん達も、それぞれ飲みながら楽しそうにしています。ボクは最初こそノックのお父さんと飲んでいましたが、知らない内に色んなおっちゃん達をハシゴしながら飲んでいました。飲むものもビールからタイのウイスキー(と呼ばれる、米の蒸留酒にカラメルで色が付いたもの。甘い飲み口なので、ついつい飲んじゃう。日本でポピュラーなのは「メコン」ですが、こちらでは「本当ン」とか「センソン」がそれにあたります。)のソーダ割りとか水割りになっていきました。どんどんと酔いも回り、次に少し若めの男性グループに加わります。聞くと、みなノックと同じか少し上ぐらいで、みな奥さんがいて今日も来ているとのことです。ふと、その中のかなり酔いが回った感じのひとりが、ボクを見つめて言いました。

「◎×※…ニホ※%ン…◎%ジン…カ?」

「(ん?日本人て言ったんだよな?)そうだよ!」

「……。」

ボクの拙いタイ語力と酔い、そして北部の訛りが合わさった早口のタイ語で理解できたのは「日本人」というタイ語だけだったので、そうだ!と意気揚々と答えたところ、その彼の目がみるみる変わっていきました。そして次の瞬間、バシャ!っと彼は自分が持っていたグラスのウイスキーの水割りをボクにかけたのです。そして早口のタイ語で罵声を浴びせてきます。突然のことで、ボクは全く反応が取れません。彼の周りにいた、2、3人の男性があわてて彼を止めて、立たせて連れて行きました。若干ざわつきますが、カラオケの音ですぐに元の雰囲気に戻ります。彼を連れて行った内のふたりも戻ってきて、何事もなかったようにまた飲み始めます。騒動を聞きつけたノックが飛んできました。

「ガォ!ダイジョブ!?」

「うん、大丈夫だけど……彼はなんで怒ったの?」

「ピーヤイ オクサン イナイ ナッタ ナ ニホンジン イッショ イル ナ」

彼(=ピーヤイ)の奥さんは、バンコクへ出稼ぎに出ていたのですが。そこで出会った日本人といっしょに、どこかへ逃げてしまったというのです。こっちの家族にはショッピングモールで働いていると言っていたのですが、実際はタニヤの飲み屋で働いていたとの事。かなりの額の仕送りをしていたので、彼もうすうす感付いてはいたのですが、無職でその稼ぎを当てにしていたためどうにも出来なかったそうです。彼は彼女の奥さんの家で暮らしていましたが、結婚自体は事実婚で書類は交わされていませんでした。法的には彼女は独身なわけです(子供もいませんでした)。この手の話は、タイの田舎に行くとゴマンとありますが、実際にその場に直面するとなかなかシビれます。そして、その逃げてしまったというのが最近の話だったので、彼は日本人に対してイイ印象が無かったらしいのです。

「ゴメン ナ」

「マイペンライ。しょうがない。彼も可哀想だな…。」

言いながら、ボクは自分もノックの元ダンナからしたら同じような立場なんじゃないかなぁ、と思ってしまいました。と、突然、この宴会の中に元ダンナが居るんじゃないかと心配になってきます。タイの法的には今でもノックは彼の奥さんですし、アル中&ヤク中な男と聞いていましたし。ノックに聞いてみたところ、彼は愛人といっしょに別の村にいるからこっちには来ない、との事で安心はしたんですが…とりあえず、飲み直しです。座に残っていた若者たちが新しくウイスキーのソーダ割りを作ってくれました。すると今度は、ガッシャーン!というガラスの割れる音がしました。そして複数の女性の叫び声。音は家の方から聞こえてきます。

見に行くと、部屋の中でふたりの女性が取っ組み合ってケンカしています。片方の女性からは流血も…。ガラスは何かを投げた拍子に割れたようでした。次々に野次馬が集まってきます。男性陣はニヤニヤしながら、このケンカを眺めています。どうなるんだろう…と見ていると、ノックのお母さんがスタスタとやってきて、バケツでザバーっとふたりに水!をかけちゃいましたwまるで盛っている犬を離すかのごとく。そして、烈火のごとく怒りの言葉がふたりに浴びせられます。会った時には柔和な感じのお母さんだったのに、めっちゃ怖い!今見ているお母さんは修羅の如き形相です。ノックが怒ると怖いのは、間違いなくお母さんの血だなぁ…とその時は思ってしまいました。ちなみに水をかけた部屋は、タイル貼りですのでザーっと拭けば終わりです。タイの家は、タイル張りのとこ多いですね。

このふたりはなんでケンカをしていたかと言えば、原因は「レンパイ」でした。そう、タイのローカル賭博でトランプを使ったものです。ルールは色々とあるんですが、タイ人の低所得者層は、このレンパイが本当に好きです。飲み屋のオネーチャン達も、仕事終わりにこれをやってる子多いですよね。チップをみんなこれで溶かしてしまったり。実はタイではこの賭博は完全な違法行為。トランプで遊んでいるだけならば、もちろん問題ないんですが、バッサバッサと札を放り投げながらやってるので、踏み込まれれば賭博と一目瞭然です。10、20バーツで遊んでいるあたりは可愛いもんですが(本当はよくないけど)、それが100バーツになり、1000バーツに…とエスカレートして気がつけば30万だの50万バーツ溶かして飛んだ、みたいな事も起こったりするなかなかエグい賭博なのです。低所得者層タイ人の中ではこの「レンパイ」と「シェー(英語のShareからきてる)」と呼ばれるいわゆる「無尽」は非常に人気があります。無尽に関しては、SNSの発達でLINEやメッセンジャーを使って、更に活発に行われているとも。落札した人が逃げちゃって問題になってることも多いです。

んでもって、この日は負けが込んでいたひとりが大勝ちしていたひとりに100バーツを投げつけたのがきっかけで、取っ組み合いは始まったらしいです。いやはや、初日から色々起こりすぎて本当にお腹いっぱい。やっぱり田舎はDQNだらけなのだなぁ、ともう笑ってしまいました。そしてノックはここで生まれ育ったわけですから、彼女だけが突然変異でマトモになっているとは思い難いわけです。それでも、目の前で笑っている彼女の魅力にはなかなか抗えず…この日はこの取っ組み合いを見たところでお開きになって眠りにつくのでした。

タイ料理屋で働いていた頃の話・その10

すったもんだあった宴会を抜けて、自分の部屋に戻ったボクは、とりあえずシャワーを浴びてほっと一息。ベッドに横になって、何言ってるかわからないタイのテレビをぼーっと眺めていました。そこにノックがやってきます。

「ガォ ゴメン ナー」

「いや、大丈夫だよ。」

大丈夫とは言いつつも、あまりにも色んなことが起こっていて、正直ちょっと疲れていました。また、この先、このタイの田舎のテンションについていけるのだろうかと若干の不安もあります。濱崎さんが言っていた「2週間」が頭をよぎります。まだ1日しか経ってないのに、これだけのイベントが起こるわけですから、2週間居るとどうなっちゃうんだろう…とか思ってウトウトとしていると、するするとノックがベッドに入ってくる気配。あ、服も脱いでる!え、いや、ここ実家だし、お父さんもまだ下で騒いでるし、お母さんも台所にいたし、息子のブックも階下でゲームを…

「カギ シメタ ナー」

ニコニコと可愛い笑顔で攻撃開始されたら、抵抗はできません…。

翌朝、目覚めるとノックが隣にいません。時間はまだ朝の7時少し前ぐらい。ザバッと水を浴びて階下に降りてみると、お母さんが料理をしています。ノックはどこに行ったかと聞くと『畑に行ってるよー!』との事。畑かー、と案じていると、お父さんが連れて行ってくれるというので、お言葉に甘えます。息子のブックは、この時間にすでに起きてきていてオンラインゲームに夢中です。

お父さんの運転するバイクにはサイドカーのような荷台が付いていて、ボクはシャベルだの、麻袋だの、肥料だのといっしょに乗り込みました。お父さんが、これまたちょー安全運転。走ったら追いつきそうなぐらいのスピードで、田舎道をトボトボとバイクで走ります。まぁのんびりとドライブを楽しむしかないですね。20分ほど走ったところで、お父さんが脇道へと曲がります。ちなみにここまで対向車・信号ともにゼロ。本当に田舎です。しばらく進むと柵があり、道幅も広がり、扉的なものが出現。お父さんの説明をなんとか聞いていると、どうもここから先がノック家の畑らしいとわかります。畑って言っても、かなーり広大な土地です。鬱蒼とした森っぽい部分もあったり、なんだか大きな池もあります。魚を養殖しているらしいです。お父さんは、全部ノックが買ったんだぞ!と自慢気に話しています。

扉をあけて先に進むと、タイ語でサーラーと呼ばれる東屋がありました。ノックはソコに座っていました。畑や池の様子を見に来たとのこと。夜の街で見せていた顔とは違い、とても和やかで、誇らしげな顔をしていました。今まで見たことのない、ノックの顔です。お父さんは、池の様子を見に行き、そのまま、畑仕事をしたりするとのこと。聞けば、この東屋以外にも、もう少し大きなものがありお父さんはよくそこで寝泊まりするんだとか。元々あんまり人付き合いは好きじゃなくて、畑いじったりしているのが性に合うのだそうです。

「ココ ゼンブ ブック アゲル ナー」

「そっかー」

「イッショ イナイ カワイソケド ココ アル イイ ナー」

「うんうん」

ジリジリと光を増してきた朝日に目を細めながら、遠くを見るノック。彼女が場末のタイパブで働き続ける理由は、この田舎の生活だったわけです。彼女にとってかけがえのない最愛の相手は、やはり息子のブックなんだなぁ、と改めて感じます。ボクに対しての感情なんていうのは、また別の部分であって。というか、そもそも彼女の中には介在できていないんじゃないかなぁ、と漠然と感じました。でも、そんな話をしているノックの横顔は、本当にいい顔をしていたのです。

「ガォ サバーイ マイ?(気分良い?)」

「ん?うん、サバーイ ナ(うん、良いよ)」

「チン ロー?(本当?)」

「チンチン(本当だよ)」

和やかな東屋での時間でした。畑からは、ノックのバイクでいっしょに戻ります。お父さんとは違って、暴走気味のノックの運転もこれまた恐怖でした。家に帰ると、お母さんが作っていてくれた朝ごはんを食べて、また部屋でのんびり。ウトウトっと昼寝をして、夕方ぐらいから街に出かけました。ノックの家の車で運転手はボクです(国際免許を持ってきたので)。まぁ街とは言っても、パヤオ湖周辺に、ちょっとした商店街などがある程度なのですけれどね。ノックは、場違いなほどキメキメの服を来て、バシッと化粧もし、サングラスまでして街に来ました。何でかなぁと思ったんですが、地元を離れずにそのまま暮らしているかつての友人たちに逢うからなんですね。まず商店街の中の美容室に入ります。ここで下級生に遭遇。ノックは髪を洗いたかったようです。しばしの時間美容室にて過ごします。田舎の美容院は、結構こうした洗髪利用が多かったりします。ネイルとかもやってたり。美容系全般の何でも屋的な感じです。途中、従業員含めこっちを見ながらニヤニヤしたり、ケラケラ笑ったりして話してましたが、なんのことやら分からず。実は、こっちに帰ってきてから、ノックが親戚や友人等と話す言葉は北の方言に替わってしまっていて、ボクの拙いタイ語読解能力では聞き取ることはほとんど出来なかったんです。とはいえ、あのニヤニヤはまぁ茶化してるんだろうなぁ、ぐらいにはわかりましたけどw

さらっさらの髪になってゴキゲンのノックはチップをバラ撒いて次の目標地点へ。今度は、花屋さんです。ここはオーナー女性が元同級生らしく、店に入ると早速ぺちゃくちゃと話が始まりました。ボクは手持ち無沙汰なので、なんとなく近所の店を覗いてみます。クァイティアオ屋さんを発見したので、ノックに伝えてから突入。カオソーイあるかと思って入ったんですが、無くて普通のトムヤムを。味は、まぁ普通でしたね。ある程度食べたところで、ノックが店に。今からご飯食べにいくのに、なんで食べてるの!って叱られました。なので残りは食べられず…いや、だから行ってくるって断ったのに…。

ノックは次々とお店を回ります。すべて知り合いの店。そして、ガンガンとチップをばらまいています。見栄っ張りというか、これもステイタスなんだろうなぁ、という感じです。楽しそうにしてますし、そもそも自分で稼いだお金ですからボクがどうこういう筋合いでもありません。車に戻ると、湖方面へ車を走らせます。湖畔の駐車場に車を停めて、レストランへ。生バンドが入っていて、なかなか雰囲気のいい店です。ノックが予約を入れていたらしく、すぐにテーブルに案内されます。結構、広いテーブルです。

「ん?テーブル広くない?」

「トモダチ クル ナー」

ほー、そうなのか。観光客もくるのでしょう、英語併記のメニューを眺めていると友達が到着です。なんと、女子が3人。しかも、みんなえらく可愛いし、服もメイクもキメキメです…。聞けば、ノックが小さい頃からいっしょに遊んでいた仲間だとのこと。皆、一度はバンコクや国外へ出稼ぎに出て、今は実家に帰ってきているのだそう。ボクは右端に座って、隣にノック、その隣に友達。ボクの前と、その隣に友達、という感じの座組です。ハッキリ言って、キメキメな彼女たちは店の中ではめっちゃ浮いていました。

オーダーが始まります。どんだけ食うんだよ、っていう勢いで注文が続き、もちろんいっしょにビールやお酒も。タイの普通の女の子は、食事の場でガンガンお酒飲むっていうのはそんなに無いんですが、ノックも友達らもガンガンです。恐らく、この友達らはバンコクで水商売をしてたんじゃないかと思いました。ノックはもちろんそうですし、友人らもその立ち居振る舞いもお酒の飲みっぷりも、なんというか素人っぽくないんですよね。やっぱり、その手の匂いは隠せるものではないです。だからこそノックも、彼女らを呼んだんだと思います。立場的に似ているというか、同じ匂いがする者同士。一般的な生活をしている人に対して、水商売を生業にしていたという若干の気後れ(といっていいかどうかはわからないですが)を感じることも無く自然に楽しめるのでしょう。

そして料理がガンガンと運ばれてきます。まぁドレもコレも美味しいし、目の前には可愛い子がたくさん。後ろは綺麗なパヤオの湖。楽しくないわけが無いです。ボクもガンガンと飲み食いを続けます。しばらくすると、男性が2名到着。彼女らの旦那さんでした。しかも、1人は昨日のノック家の宴会で、ボクが水浸しになった時に、その相手をなだめて連れて行ってくれたヤツでした。ということで、更に盛り上がる宴。ノックも酔っ払って楽しそうです。ステージのバンドにもドカスカとチップを渡してリクエスト曲を演奏してもらって踊ったり。と、パートナーがいない女友達がひとりいることに気づきました。ボクの目の前に座っていた子です。名前はジンといいました。

「ジン フェーン マイマー ロ?(ジンちゃん、彼氏来ないの?)」

「ア? マイミー フェーン ナ!(え? 彼氏いないよ!)」

と言って、いたずらっぽく笑う彼女。実は三人の中で一番可愛いのが彼女だったのです。横にノックがいるにもかかわらず、若干ニヤけ気味で話すボク。とはいえ気持ち的には、ノックの友達なんだし、1人だけパートナーがいないし、ちょっと寂しそうだから気を使って話もしないとなぁ、と思ってのことでした。ボクは酔っ払ってるので、下手なタイ語でも恥ずかしさがなく、どんどん続けて話します。彼女も酔っ払ってきてるので、ケタケタ笑いながら会話を続けます。しばらく話を続けていると、ノックがチョンチョンと肩をつつきます。

「ノック トイレ イク ナー」

「え?あ、うんうん。」

と、なんでわざわざトイレいくのに断っていくんだろう…と思いながら、話し続けていたその瞬間。

「ジン!!!!!※%あsfなおsgr@が@wrg@wrんgmwr!!!!!!」

立ち上がったノックの叫び声、何言ったか全くわかりません。そして、ジャバー!!!!!なんとノックが、ジンにグラスの水をぶっかけました。その場が一瞬で凍りつきます。ボクは、あれ?これ昨日も見た感じだなぁ、とかボーッと思っていました。すぐに立ち上がって、叫ぶジン。そして、ジンもグラスの水をノックにジャバー!!!!!人生で2日連続ジャバーを見たのはコレが最初で最後です。すぐさま友人&旦那さんが取り押さえます。ボクもノックを抑えます。が、ノックはボクに平手打ち…。ボクも酔ってる勢いで、お返しに手が出そうになりますが、そこは我慢。しばらくワチャクチャしているうちに、ジンは友人の1人と店を出て行きました。ノックはうなだれてイスに座っています。

落ち着いたところで話を聞くと、結局のところは酔っ払った挙句での嫉妬でした。ジンの『彼氏はいない』という言葉が耳に入っていて、ボクが口説いているもんだと思ったみたいですね。まぁ確かに可愛いなぁ、と思いはしましたが、そもそもノックの友達だからこうしていっしょにテーブルに付いているわけですし、気も使ったのに。彼女も別にボクに対して、何かしらの感情があったわけでは無いですしね。ただ、このジンという子は曲者らしく過去にも友達の彼氏を寝とったりとか、そっち方面は奔放なのも事実だったようです。

それにしても、あの瞬間湯沸し器っぷりは、本当に…個人的に東南アジアの女性、特に低所得者層の女性たちは嫉妬がキツく、そしてすぐに怒りがMAXになる気がします。まぁ機嫌が直るのも早かったりするんですけれど。タイなんて、日本で言う阿部貞的な事件、しょっちゅう起きてますからね…。あらためてwikiを読んでみましたが、阿部貞も芸者や娼婦だったんですね。何か通じるものを感じてしまったり…ぶるぶる。あ、でも阿部貞は殺してから、性器を切断してるんですね。生きてる内にちょっきんしちゃうタイ女性の方が、より怖いかも知れない…。

もとい。すっかり場はしらけてしまったので、解散となります。ボクもさっきまでの気持ちの良い酔いは覚めてしまっていましたが、運転できるほどには戻っていません。友人が送ってくれるというので、その後部座席に乗りノックの家に帰ります。ノックは肩をもたれかけ終始俯いたまま、気がつけば寝息を立てて眠ってしまっていました。空港到着から今日の騒ぎまで。自分のルールの中では考えられないことが次々と起こります。眠るノックの顔を見ながら、ボクの中で何かが少しずつ切れていきました。

タイ料理屋で働いていた頃の話・その11

友人の車で自宅まで戻ってきたボクら。そのまま寝室へ向かいます。ノックはすっかり酔っ払っていて、話もできるような状況じゃなかったので、服だけ着替えさせて、そのままベッドへ運びました。ボクは、ノックを寝かせた後にふらふらと家の外に出ます。当時、まだボクは喫煙者だったので煙草を吸いに出たのです。東京の空と違って、真っ暗な空には星がきれいに見えていました。こんなに星って見えるもんなのかー、とか思っているとふと人の気配を感じます。そこにいたのは、ノックの息子・ブックでした。

その時まで、彼とはほとんど話らしい話はしていなかったのですが、なぜかこの時、彼はボクのそばにいました。煙草を吸っている間、じっと近くで座っています。つたないタイ語で話しかけても、はにかむのみで返事はありません(ボクのタイ語が伝わっていなかった可能性も有るんですが…)。タバコを吸い終わって、部屋に戻ろうと思った時、ブックはボクに一枚の写真を見せました。それは、ノックとブック、そして恐らく父親がいっしょに写っている写真で、何処かのお寺で撮られたもののようでした。ボクが写真を返すと、彼はそれを大切そうにビニールで出来たカバーに仕舞い、部屋に戻りました。今思えば、あれは彼なりに自分とノック、そして父親の関係性をボクに示したかったのかもしれません。その後、ボクも部屋に戻りベッドに潜り込みます。長い一日が終わりました。

翌朝、目覚めた時にはノックは既にベッドにはいませんでした。日課の畑かと思ったのですが、どうもそうでは無いようです。母親に聞いてみても、要領を得ません。とりあえず、出してくれた朝ごはんを食べて、自室に戻ってクーラーの効いた部屋でぼーっとしていました。間もなくお昼になろうかという時間帯に、何やら下が騒がしくなっています。その騒がしさがだんだんと部屋に近づいてきます。今回の旅で色々と経験してきたボクはすぐにピンときました。

……ははぁ、コレはまた何か起こるんだな。

と、その思いが頭から抜ける間もなく『バンッ!』とトビラが開きました。そこには、頭モジャモジャでガリガリ、ボタンが一つも留まってないシャツがはだけて刺青だらけの肌が見えている、人相の悪いというか、貧相な男でした。家の中まで咥え煙草で入ってきています。その佇まいと顔を見た瞬間にわかりました。これは、ノックの旦那でしょう。

「#^$っpくぇmくぇおっpmp^!(^$%@$!!!」

ベッドに寝そべっていたボクに対して怒鳴っています。もちろんタイ語なので全くわかりません。怒鳴りつつも、煙草はちゃんと手に持ち替えていました。彼の後にはノック、前には若い男性がひとり。その男性がいたので男は飛びかかるのをとどまっている感じです。若干呂律も回っていない感じだったので、お酒、はたまた薬をやっていたのかもしれません。ジェイと呼ばれる、そのノックの旦那は恐らく時間にして1分もいなかったと思いますが、それが数分に感じるほどには嫌な雰囲気の中、叫び倒して去って行きました。正直、何かしらされるだろうと思いましたが、特に武器らしいものは持っていなかったので、殺されるまではいかないかなぁ、と妙に冷静に彼の手元の煙草を見ていたのを覚えています。

ジェイの前にいて止めていてくれた男性は、彼の弟・エーでした。(親もギャンブル狂らしく、子どもはJとAでブラックジャック…)。ノックの義理の弟にあたります。エーはジェイとは違い、かなり真面目に暮らしていて、一家の家計も(恐らく兄の酒や薬代も)彼や彼の奥さんの稼ぎから出ているとのことでした。実は、ノックが今朝、息子・ブックの保険のことなどについて話をしに行ったといいます。夫婦でいるときに入れた保険で、契約の更新だか切り替えだかにジェイのサインが必要だったのでiす。この時点でもまだ離婚届を出していなかったのです)。

またタビアンバーンと呼ばれるタイの住民票(一家に一冊ある)もジェイの元にあったとの事で、それを貰いに行ったらしいのですが、ボクが村に来ていることを知っていたらしく、ふたりは会った瞬間に喧嘩になり、そのままノックの家まで来たとのこと。エーは何が起こるかわからないのが心配でいっしょについてきてくれたのです。ジェイの行動にも呆れますが、ノックがひとりでのこのことアル中でヤク中の旦那の元に行ったのにもホトホト呆れました。ノックはアル中の旦那は基本的に午前中は寝ているから、その間にタビアンバーンを取って来ようと思ったと言います。サインはどうしようと思ったの?と聞いたら、帰るときにちょっとだけ起こして書かせるつもりだった、とサラリ。この後も色々と悩まされることになるのですが、タイ貧困層、低学歴の女性たちは本当に計画性とかありません。その場の考えのみで行動します。しかもその自分の考え、行動に一縷の疑いもありません。全部正しいのです。その行動力が良い方に作用する場合もまれにありますが、大半はろくでもない結果となります。

ノックは私は悪くない、と逆ギレしています。ボクも別にノックを責めていなかったのですが、逆ギレされるとなんだか腹が立ってきます。そもそも、なんでひとりで行くんだろうか…とか、とはいえ『いっしょに行ってくれ』と言われてたら行ったのかな…とか色々と考えつつ、若干の口論をしつつ下に降ります。すると、まだ庭にジェイがいるのが目に入りました。しかも、ブックを抱っこしてるじゃないですか!結構大きいのに!そして、そのブックといえば…満面の笑みだったのです。これにはなんだか、もう、笑ってしまいました。もしかしたら自分の息子として育てることになるのかも?とか真剣に考えた事が、急に馬鹿馬鹿しくなってきます。ノックは、すぐに庭に出てブックを呼びます。しぶしぶといった感じで部屋に戻ってくるブック。ジェイはちらりとこちらを見ると、意外に大人しく弟といっしょに車に乗って帰って行きました。

部屋に戻ったブックを抱きしめるノック。ボクのことは全く気にしていません。さすがにボクも我に返りました。これは恋愛とか、そういうことではないなぁ、と。彼女、彼らには現実があり、良くも悪くも"生活"がある。こんな"生活"を乗りこなすバイタリティは、今のボクにはまるで無いなぁ、とはっきりとわかったのです。場末のタイパブやタイ料理屋で馴染みになったり、タイ語を覚えたあたりで悦に入ってるなんてのは、序の口の序の口、入り口にすら到達していなかったわけです。濱岡さんの言っていた2週間にはまだ足りませんでしたが、自分の立ち位置を確認するには十二分な、濃厚な経験が出来ました。ボクはノックにいいました。

「ノック、ボクは日本に帰るね」

……と、ここで連載は終了している。この後日談を書いたテキストもあったはずなんだけど、まだサルベージできてない。また探してみよう。しかし懐しいな。

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